子育てに関する神話として、母性愛神話、3歳児神話があります。これらの「神話」は、子育ての当事者である親や養育者、そして社会全体が、無意識に信じて行動していることが少なくありません。もしも、「〜しなければならないのに、うまくできていない」、「〜であるべきなのに、そうなれない」と、自分を責めているようであれば、子育てにまつわる神話に囚われているのかもしれません。今回は、子どもを預けて働く罪悪感について、子育ての神話と言われている母性愛神話や3歳児神話と合わせて、コラムをお届けしたいと思います。
大日向(2015)は、「単に母子間の問題ではなく、母親の就労を家族全体がどのように支援するかが問われるのであり、同時に共働き家庭がよりよい状況で就労を継続するためには、社会体制の整備が不可欠である」と指摘しています。送り迎えや食事の準備・片付けを分担するなど、協力している家庭もあると思います。子どもは、親と離れている時間であっても、保育園や幼稚園の活動のなかで、先生や他のお友達と関わって、いつの間にか社会性を身に付けることもありますよね。また、帰宅後や週末に家族で子どもと丁寧に関わることで、一緒に充実した時間を過ごすこともできます。
これは、子どもを預けて働く罪悪感についても応用できそうです。もちろん、子どもが小さい時にお家で子どもをみたいと考えていて、そして見ることができる経済状況や環境が整っているのであれば、お家で子育てすることは、とても素晴らしいと思います。一方で、子どもが小さいうちは母親が家で子どもを見なければならないと思い、本当は働きたいのに、母親である自分が我慢すればと思っているのであれば、母性愛神話や3歳児神話に囚われている可能性があります。
子育てに正解はないとわかっていても、また完璧な親・完璧な子育てではなく、ほどほどでよいと頭ではわかっていても、我慢したり、犠牲的になっていませんか。もしも、「〜しなければならないのに、うまくできていない」、「〜であるべきなのに、そうなれない」と、自分を責めているようであれば、子育てにまつわる神話に囚われているのかもしれません。
父性観についても、戦前までの家父長制や高度経済成長時代の企業戦士の父親から変化しています。
「神話」というものは、作られた時代の背景があり、時代に即した目的があるものです。しかし、それら背景や目的は時代の変化に応じて変わります。すると、「囚われ」だけが私たちの心に残るわけです。
生きにくさ、育てにくさは、家族の課題であると同時に、実のところ社会全体の課題でもあります。片方の親が一人だけで抱え込まないこと、自分を責めないことが大切です。たしかに、時間的な制約があるかもしれません。さまざまな家事をこなさなければならないのかもしれません。それでも、家庭での子育てと仕事のキャリアを合わせたアイデンティティの再確立を応援したいと思っています。
参考文献
大日向雅美 「増補 母性愛神話の罠」 日本評論社、2015年
コメントを残す