あんなことをしてしまった。
今でも過去の失敗や間違いを引きずっている。
なんであんなことしてしまったのだろう。
過去に戻ってやり直したいくらい。
でも、タイムマシンでもない限り、できるはずがない。
自分はダメな人間だ。
なにより、自分で自分のことが許せない。
自分が悪いことをしてしまったという感情を抱くと、自分を責めるようになります。
さらには、
こんな自分が幸せになってもいいのだろうか。
幸せになる資格なんてないんじゃないか。
そんなところまで思ってしまう。
そして,楽しいはずの趣味や旅行も楽しめない。
人間関係も気後れしてしまい、
消極的で自信がなくなってしまう。
このように、何事にも前向きになれず、生きづらくなったり、
建設的に生きられないと思うあるかもしれません。
私も同じでした。
学生の頃、恋愛で相手をとても傷つけてしまったことがありました。
自分から別れを切り出したくせに、
後悔して、罪悪感を感じていました。
今後恋愛はできないし、
恋愛する資格すらないんじゃないかと思いました。
自分は幸せになる資格なんてないと思っていました。
非建設的で不健全な罪悪感や自責感には、世界は公正であるべきという信念が背景にある場合があります。
メルヴィン・ラーナーという心理学者は,このような信念を「公正世界仮説」と言いました。
「正義は勝つ」、「因果応報」、「悪いことをしたら、悪いことが返ってくる」
という素朴な考えを私たち人間は信念として持っているのです。
スポーツで、努力が報われると信じて、試合に向けて練習することは大切です。
よい方向に前向きにとえられるならば、役に立つ理論です。
一方で、思い込みや誤解にもとづく、非建設的で不健全な罪悪感や自責感の場合には、物事の因果関係をポジティブに考えられなくなってしまいます。
悪いことをしてしまった自分には、幸せになる資格なんてないんだと思うのも、この公正世界仮説という信念に囚われている可能性があります。
罪悪感から自由になるためには、この「公正世界仮説」が思い込みに過ぎないと理解することが、一つの方法になります。
この世の中は複雑にできており、偶然の成り行きや巡り合わせがあるということです。
因果応報のように、「Aをしたら、Bになる」という単純なしくみにはなっていません。
恵みの雨は、誰の上にも降り注ぎます。恵みの太陽の光だって、みんなに降り注ぐのです。
なんだ、当たり前のことじゃないかと思われるかもしれません。
でも、私はこの公正世界仮説を知って、少し楽になったんです。
繊細、敏感、真面目な人は、律儀にもこの仮説を全ての場面で適用してしまう傾向があります。
ある一つの観点からすっきりと見通しをつけたい、確実な答えを知りたいと思うあまり、決めつけて安心感を得ようとしてしまうのだと思います。
曖昧さに耐えられないとき、この「公正世界仮説」を過度に適用してしまうのかもしれません。
このコラムの読者さんは、ずっとご自分を責めてきたのではないでしょうか。
つらい思いもしてきました。もう十分苦しんだと思います。
そろそろ自分を許してあげてもいいのではないでしょうか。
そろそろ自分を苦しめる物語を書き換える時だと思います。
自分を労って、自分を許して、小さな一歩でいいから、少し前に、進んでみてもいいのではないでしょうか。
ポイント
① 公正世界仮説という信念の影響で、幸せになる資格がないと思ってしまうのかもしれない。
② 世の中は、直線的な因果関係にもとづく単純な仕組みにはなっておらず、偶然や巡り合わせといった複雑な要素に気づこう。
③ もう十分に苦しんだのだから、自分を許して前に進もう。自分に許可を出そう。