子どもに寄り添ってネガティブな反すうを手放す

投稿日(Posted on): 2023年12月6日 | 最終更新日(Last Updated on): 2024年5月22日 by 河野傑

「おとうさん、これよんで」「ちょっとまって」

子どもの言うことに十分に耳を傾けてきただろうかと,ふと振り返ることがあります。

親の方が子どものことをよく知っているし、分かっているはず。社会のルールを教えなければ。子どもは何も知らないのだから。

親がそんなふうに思っていると、「子どもの言うことを聞く」なんておかしいと思うかもしれません。

   

私は、「親や先生の言うことを聞きなさい」と言われて育ってきたように思います。ですから、親や先生が答えを持っていて、親や先生をお手本として真似する。それこそが正解だと思っていました。

でも、なかなかそのようにできないのが、子どもの頃の私でした。

自分の気持ちにふたをして、我慢したり、頑張ったり,期待されたようにできなくて、たびたび後悔や罪悪感を感じていました。

「反抗期はよくないものである」,「親の言うことは聞くものである」さらに,「言われる前に親の意向や期待を察して動くことが良いことである」こうした行動ができる子どもは、手のかからない子、いい子とされていました。

   

ご存じの方も多いと思いますが、英語の「教育」はeducationで、「引き出す」というのが語源だそうです。生まれながらにして子どもは何かしらの能力を持っていて、それを引き出すのが、教育というわけです。日本語だと、教育は「教えて育む」ならまだいい方です。でも、「教えて育てる」ですと、何もわからない相手に教え込むような印象さえ持ってしまいます。「強いて勉める」の勉強と同じですね。

   

でも、子どもというのは、本当はその子なりの答えを持っているのかもしれません。それは、必ずしも立派な職業やお金になるような才能やギフトではないのかもしれません。ですが、何かに取り組む子どもの真剣な眼差し、子どもが驚いたときやうれしそうにしているときの表情に出会った瞬間に、はっとすることが多々あります。

先日、子ども(5歳の男の子)とお風呂でゲームをしました。ワニたたきゲーム,クレーンゲーム,水鉄砲のシューティングゲーム,ショッピングモールで遊んだゲームでした。それらをお風呂でやろうというのです。実際には、ワニたたきゲームは、腕と手をワニに見立てて、湯船に腕を浮かべて、前後に動かしただけでした。そして、子どもはワニである私の腕を軽くたたくのです。

   

「おとうさんは、ワニをこっちにうごかしてね。わかった?」,「こうじゃないよ。こっちにやって」子どもは、ショッピングモールでのゲームを思い出しながら、再現しているようでした。

  

おおげさにいうと、遊びのなかで、ゲームやアニメから得た世界観を、自分なりに現実世界に落とし込もうとしていたのかもしれません。子どもは、空想と現実を自由に行き来しているのでしょう。ひとしきり遊んで、お風呂から出たとき、たわいもない単純な遊びだったにも関わらず、どことなく満足そうな顔をしていました。

   

私は子育てに関しては、毎日イライラしたり怒ったり、心配でハラハラしたり、間違えたと思って罪悪感を感じたりと、こころを揺さぶられることばかりです。そんな日々の子育ての気づきのひとつに、「子どもに親の言うことを聞かせて動かすだけが子育ての正解ではないかもしれないという意識を頭の片隅に置いておく」というものがあります。親としての私は、さも、何でも知っていて、何でもできるかのように子どもに接しないといけないという思い込みがありました。

   

   

もちろん、そんなことはできません。教え育てることで、子どもが何かをできるようにさせる。勉強をさせて合格させる・・・いずれの場合も、親は決してナニカをさせたというわけではありませんよね。子どもがしただけです。さらに言えば、「させなければならない」とすら思い込んでいるときもあります。親の方が社会からのプレッシャーを感じているのです。

      

トマス・ゴードン著「親業 子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方」では、親は子どものコンサルタントとして相談にのる、という考え方が記されています。親は、スポンサーではなくコンサルタントなのですね。

   

親がスポンサーですと、お金を出しているのだから報告しなさい、言うことを聞きなさいという見返りや義務が発生するような印象があります。お金を出すと,親の意向に沿わないといけないような雰囲気があったりします。

   

一方、親はコンサルタントであるとすると、必要な時に相談にくるということになります。その家庭に、いまだに家父長制や父親が一家の大黒柱という価値観が残っていると、なかなかコンサルタントには徹しきれないのかもしれません。

   

「子どもの言うことを聞く」,「子どもの話に耳を傾ける」学校では、友達の様子を伺って一歩引いていて、友達から間違いを指摘されたり注意されるのを恐れていたり。ましてや、自分の思い通りにお友達が動いてくれることはあまりないのかもしれません。その分、家では思うようにやってみたいのかもしれません。あるいは,リラックスしたいのかもしれません。自分なりの空想の世界を展開してみたい。安全安心な場所であるはずの家ですから,そう思うのは、自然なことでしょう。

   

学校では、スケジュールがあり、団体行動があり、周りに気を使って頑張ることも多いでしょう。それに加えて、家でも親の言う通りに行動しなければならないのだったら、大変です。「親の言うことを聞きなさい」「示されたお手本の通りにしなさい」「親の意向に沿えたときにほめてもらえる」正しいがゆえに息が詰まってしまうのです。もちろん、規範や社会性を学ぶことは大切なことです。でも、そればかりだと、自主性、主体性を伸ばすことは、難しいとさえ思ってしまいます。

   

ですから、子どものことを信じて見守ること。ひいては,子どもの言うことを聞くこと。これが、子どもの主体性を育てることにつながるのでしょう。


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