悲しみは悲しみのままで、消えることはないでしょう。それでも、そんな時でも、自分を必要としてくれる人のために、他の誰かや何かに目を向けることができればと思います。他に目を向けることは、その悲しみを忘れてしまうことにはなりません。あなたの存在は、あなたを必要としてくれる人にとっての喜びなのですから。
ウルグアイ航空機571便遭難事故をご存じですか?私は、「生きてこそ」という映画を見て、この事故のことを初めて知りました。当時映画を見て衝撃を受けました。今回、書籍の「アンデスの奇蹟」を読んで振り返ってみました。
ウルグアイ航空機571便遭難事故。
1972年に航空機がアンデスの山脈に墜落した事故です。乗務員と乗客合わせて45人のうち29人が死亡し、16人が生還しました。生還された方々は、およそ2ヶ月間にわたり、飢えと厳しい寒さのアンデス山脈で生き延びました。途中、捜索が打ち切られ、通信手段も途絶えてしまいました。
食糧が尽きて、飢えを凌ぐために、亡くなった仲間の一部を食べざるを得ませんでした。グループのうち3人が遠征隊として、まず下山して救助を求めました。下山までの道のりは途方もないものでした。
この事故のことを、ご存じの方もいるかもしれません。
「アンデスの奇蹟」の著者のひとりの方は、生還した後しばらくして、自らの体験を語る講演をするようになったそうです。
以下、「アンデスの奇蹟」(2009)より引用
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あるとき講演が終わると、若い女性が話を聞いてもらいたいと言ってきた。
「数年前、車をバックさせて車庫から出していたんです」その人が言った。
「うしろに二歳になる娘がいるとは気づかず轢いてしまい、娘は死にました。
その瞬間に私の人生は止まったのです。
それからというもの、食べることもできなければ、眠ることもできない、頭に浮かぶのはあのときのことばかり。
私は自分を質問攻めにして苦しめました。
なんで、あの子はあそこにいたんだろう?なんで、見えなかったのだろう?なんで、もうちょっとだけ注意ぶかくしなかったのだろう?
そして最後はいつも、なんでこんなことになってしまったの?
そのとき以来、私は罪悪感と悲しみのあまり、何をする気にもなれなくなってしまいました。(引用終わり)
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こうした経験は、喪失による悲しみだけでなく、後悔や罪悪感なども含む複雑な感情です。生存者の罪悪感の一種とも言えるかと思います。こうした感情に悩むと、自分を責める気持ちになり、前向きに生きる気力を失ってしまうことがあります。
前向きに生きたり建設的に生きたりすることが悪いことのように思ってしまうことすらあるかもしれません。罪悪感があると、自ら行動できなかったり、幸せになる資格がないように思ったりしてしまいます。立ち直って前向きになるのは難しいというか不可能とすら思ってしまうのではないでしょうか。
そのようなとき、航空機事故による大きな喪失と悲しみを経験した著者の講演を聞いて、女性は気づきます。
以下、「アンデスの奇蹟」(2009)より引用
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人は苦しんでも生きることができる。
今私は気づいたのですーーー 私は生きなければならない、夫のために、他の子供たちのために・・・・・。
心に痛みを感じていても、私には生きる力を見つける義務があります。
(引用終わり)
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悲しみは悲しみのままで、消えることはないでしょう。それでも、そんな時でも、自分を必要としてくれる人のために、この女性のように、他の誰かや何かに目を向けることができればと思います。他に目を向けることは、その悲しみを忘れてしまうことにはなりません。あなたの存在を必要としてくれる人にとっての喜びにつながるのですから。
参考文献
・ナンド・パラード+ヴィンス・ラウス著, 海津正彦訳 「アンデスの奇蹟」 山と渓谷社 2009年
・フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」ウルグアイ空軍機571便遭難事故
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