バイリンガルにも、得意な領域、慣れた領域、よく知っている領域など、言語ごとに優位な領域があります。今回のコラムでは、この「相補性の原理」について学んでいきたいと思います。バイリンガルを理解するためにも、得意な分野、優位な領域(裏返していうと、不得意な分野、苦手な領域)があることに注意して、他者理解や配慮につなげたいものです。
「どんな分野でも、誰とでも、どちらの言語でも、コミュニケーションとれるんじゃないの?」「だって、バイリンガルなんだから、2つの言語を理解できるんでしょ。」
バイリンガルの人は、だれとでも、どんな領域でも、2つの言語で高いレベルでコミュニケーションがとれるものだと、モノリンガルの私は、よく思ってしまいます。
翻って考えてみると、日本語だけにしても、初めて就職した時の会社での大人のコミュニケーション、幼稚園や保育園などの子どもだけの世界でのコミュニケーション、男性と女性の会話など、語彙や話し方もだいぶ違うのではないでしょうか。
まして、日常会話で使われる言葉、法律用語、アカデミックな専門用語、これらの間には、たとえ日本語であったとしても、かなりの差が感じられます。よく考えれば当たり前のことなのかもしれません。
しかし、バイリンガルのことになると、先述のように、「だって、バイリンガルなんだから、2つの言語を理解できるんでしょ。」「どんな分野でも、誰とでも、どちらの言語でも、コミュニケーションとれるんじゃないの?」となってしまうのです。
言語心理学者のグロジャンは「相補性の原理(complementarity principle)」グロジャン(2018)を説いています。complement とは、「相互に補完する、補完して完全にする」というくらいの意味ですね。この相補性の原理とは、ひとりの人間の言語体系やパーソナリティは、領域ごとに、ひとつ(あるいは複数)の優位な言語によって構成されて、それぞれの言語が補完し合って全体を形成するというものです。
ある領域では、たまたま2つの言語が同等に優位といえる場合があるし、また、別の領域では、優位な言語がひとつだけのこともあるのです。その領域は、家庭、学校、仕事、友達などいろいろな状況を意味します。
「バイリンガルはさまざまな状況で、異なる人々と、それぞれ異なる目的のために、二言語を学び、使用するのです。日常生活の中のさまざまな場面が、さまざまな言語を必要とするからです。」グロジャン(2018)
つまり、領域によってその言語能力が異なるのです。読む・書く・聴く・話すというレベルも異なるのでしょう。ちなみに、というか、当然のことかもしれませんが、その領域において言語を使うことによって、該当する知識や語彙も増えます。
「相補性の原理は言語使用を強調しますが、これはまたバイリンガリズムを定義する一つである、バイリンガルの人の言語知識にも間接的に影響します。」グロジャン(2018)
また、言語使用は感情にも影響します。
わたしが高校生の時、アメリカにホームステイに行ったことがありました。ステイ先のお父さんがお医者さんだったこともあり、ある日のこと、病院を訪問しました。病棟には、日本人の高齢の女性が患者として入院していました。そのステイ先のお父さんは、「母国語で話すことは健康にいいから」と言って、その患者さんと二人で少し話す時間をくれました。
その患者さんは、私と少し話して笑顔で私を見送ってくれ、私は病室を後にしました。外国に長く暮らしてコミュニケーションには不自由しなくとも、懐かしい言葉で話す時間もまた、心を通わせ、気持ちを穏やかにするのに少しは役立つのかもしれません。
このように、バイリンガルといっても、得意な領域、慣れた領域、よく知っている領域など、言語ごとに優位な領域があるのですね。こうした領域ごとの優位性は、言語獲得の過程において、移住した年齢、過ごした環境、あるいは日々接する養育者の使用する言語などに影響されます。
バイリンガルを理解するためにも、得意な分野、優位な領域というものがある(裏返していうと、不得意な分野、苦手な領域)があることに注意して、相手の理解や配慮につなげることが重要だと考えています。
参考文献
フランソワ・グロジャン著 西山教行 監訳 石丸久美子・大山万容・杉山香織 訳 バイリンガルの世界へようこそ 複数の言語を話すということ 2018 勁草書房
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