こんな言葉をご存知でしょうか?
人間には3つの段階があるという。
それは、「まずサンタクロースを信じていたとき、次にサンタクロースを信じなくなったとき、そして、サンタクロースになったときである」
出典がわからないのですが、こんな言葉でした。
認知心理学で、ある物事の特徴的な一点をもって、その全体を解釈してしまうような認知の現象をハロー効果といいます。
先にあげた言葉でいうと、小さい頃にクリスマスが近づいてワクワクする感覚です。朝起きるとプレゼントがあって嬉しかった思い出があります。
次に,成長するにつれてサンタクロースがいないのではないかと理解したとき,なんとなく、誰かがプレゼントを置いてくれているんだなと思い始めた頃です。
それから、いつの間にか,クリスマスはプレゼントをもらえる慣習であるとか、商業主義的なものと思って、信じなくなってしまうのかもしれません。
その後、しばらくして大人になってから、「与える」ということの尊さに気づいたとき、誰かに(別に自分の子どもでなくても)プレゼントをするかもしれません。
物や金銭でなくても、誰かに親切にしたり、何かしら役に立とうとするかもしれません。
悲嘆の罪悪感を癒やすときも同じことが言えるのではないでしょうか。
自責や罪悪感のあまり、自分自身のよさや大切な思い出が霞んで見えにくくなってしまっていませんか。
罪悪感で自分を責めていると、自分の判断に自信が持てなくなってしまう。
よかれと思ってしたことだけれど、自分がしてしまって後悔している。
自分が選んだことだから、自分がわるかったと結論付けてしまう。
判断した自分自身もわるかったように思ってしまう。
だから、自分からは何も行動しないほうがいいのかも。
それに、自分がわるかったのだから、そんな自分は泣いたらダメだ、悲しむべきではないと、悲しむことを抑えて我慢しているかもしれません。
さらには、自分を罰するかのように、あえて自分の損になることを選択したり、そう思う必要はないのにも関わらず、自分が幸せになる資格がないのではないかと思ってしまったりする。
菅生(2021)では、「罪悪感に直面すればよいというものでは決してなく、罪悪感がわいてくる場合、そのような思いになるのは当然のことであることを認め、罪悪感を持っていることを受け止めるということである。」
さらに、「自分が『選択して赤ちゃんを喪った』ことと『赤ちゃんへの愛情』は両立して構わないのである。赤ちゃんへの愛情を抱いてよいのだということ、表現してよいのだということを周囲が示し、認め、受け止める必要がある。」
罪悪感を受け止める、そして、なおかつ愛情を感じていい。
そんな両義性を同時に受け入れていくことが大切なのですね。
悩んでいるときは、視野が狭くなりがちです。
私は悪かったと思うと、罰せられるのは私だと思ってしまいます。
そして、悩んでいる時は、わかりやすい明解な答えを求めがちです。
また、答えは一つだと思いがちです。
でも、人間はいろんな感情を感じるものだし、相反する感情や価値観が同時に心にあってもおかしいわけではありません。
それは自然なことです。
一見すると矛盾するような価値観や感情でも、同時に存在しうるのです。
相反する感情を認めて受け止めることが、すなわち自分の弱さを受け入れることであり、強さにつながるのだと思います。
参考文献
・管生聖子 2022 人工妊娠中絶をめぐる心のケア 周産期喪失の臨床心理学的研究 大阪大学出版会
・フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」ハロー効果
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%BC%E5%8A%B9%E6%9E%9C&oldid=92347930 (2022年12月8日参照)