子どもはかわいい。確かにそうです。
まさに「目に入れても痛くない」です。
でも実は、子育てをしていると、
子どもがかわいいと思えないと感じてしまうときがあります。
そんなとき、
そう思ったらいけない。
そう思う自分がおかしい。
そう自分を責めてしまいます。
でも、そんなときにホッとする考え方があるんです。
どんな考え方だと思いますか?
それでは今回は、
「子どもがかわいいと思えない」の罪悪感を癒やす心理学です。
● 子どものイヤイヤ期に、親は不安になる
子どもはかわいいです。
でも、
作った料理は食べないで、代わりに買ってきた出来合いの惣菜を美味しいと言う。
子どもがギャーギャー騒いで、近所から苦情を言われてしまう。
近所のおばあちゃんからは、親の育て方がなってないようで大丈夫かしらと、心配そうに見られる。
朝は早く出かけたいのに、靴下をはきたがらない。
これで将来大丈夫かなと、心配になります。
● イヤイヤ期は、小さな別れ
イヤイヤ期は、
自分でやってみたいという自立の芽生えだと言います。
確かに全力で抵抗してくる子どもに、自我の芽生えを感じます。
子どもは、親に忖度なんかしないで、臆せずに言いたいことをはっきり言います。
やりたいことをやろうとします。
いつの間にか大きくなったなあと感じるとともに、
そんなにはっきり自己主張できる子どもがうらやましく感じることすらあります。
そして、
そんなイヤイヤ期は「小さな別れ」なのかもしれません。
子どもは、いずれ親から離れ、巣立っていく存在。
そんな将来の別れのために、今、小さな別れを練習しているのかもしれない。
そう思うようになりました。
● 私の経験
私は「よい子」でした。
できのわるい「よい子」だったかもしれませんが、
「よい子」であろうとしていました。
そして、
良い子であるべきという空気を感じ取る子どもでした。
小学生4年生のある日、
父親は突然、中学受験のために塾に申し込んできたと言いました。
平日や土日にも授業やテストがある塾でした。
父親は、申し込んだのだから行けの一点張り。
当時、私は小学校のサッカークラブでサッカーをやっていて、
それがとても楽しみでした。
でも、
そのサッカーはやめなければならないようです。
私は、畳の部屋で泣きました。
私は、反抗できませんでした。
そして、
嫌々ながらその塾に三年間通ったのです。
私がそうしたのは、
当時から父母の関係は良好に見えず、
私が逆らうと家族が崩壊してしまうような雰囲気を
感じ取っていたからだと思います。
● 「イヤイヤ」じゃなくて、自己決定
医師で臨床心理士の田中先生は、このように書いています。
「これまで親に「寝なさい」と言われて寝ていた子どもが、
人から言われるのではなく、寝るか寝ないか、
いつ寝るかなどを自分で決めようとしている。
それこそが「よいこと」なのだ。
・・・・中略・・・
子どもの自己決定という「内なるプロセス」に価値がある。」
子どもがかわいいと思えないとき、
子どもは自分で一生懸命考えて、何かをやろうとしているのです。
何かに興味を持ち、選択して決定して、そして、行動しようとしているのです。
親に言われたからではなく、自分自身で。
ただ、それは親からすると、役に立たないだろうと思ったり、行儀が悪かったりするだけなのです。
● 「子どもがかわいいと思えない」とき、世間の目を気にしている
「子どもがかわいいと思えない」の罪悪感を手放すことも同じです。
親の都合のいいように子どもを誘導しようとしているときに、子どもがかわいくないと思うのは、感じます。
さらに、その親の都合は、世間や社会の風潮が背景にあります。
親がこれからは〇〇が大事だからこうしたらいいんじゃないかと思う時でも、
親自身の子供時代の教訓を活かそうとする時でも、それは、まだ子ども自身の教訓にはなっていないのです。
だから、子どもがかわいくないと思ってしまうときには、子どもが自分で何かに興味を持ち、選択して意思決定しようとしている、そのことを受け止めて理解した方がいいようです。
それは、子どもの成長だと、親は誇りに思ってもいいかもしれません。
自立の始まりとして、その選択や行動を「小さな別れ」だと思って、できるだけ見守ることを心がけたいものです。
ポイント
・「子どもがかわいいと思えない」とき、子どもが自分で決める力が育っていると理解してみる。
参考文献
田中茂樹. 去られるためにそこにいる 子育てに悩む親との心理臨床, 日本評論社, 2020年.
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