ご存じの方も多いかもしれませんが、ひろさちやさんのご著書は、わかりやすい言葉をつかって仏教を始め宗教の教えを解説されていることで有名です。私は、かつて落ち込んでいた時期にひろさちやさんの本をよく読んでいたのを思い出します。ひろさちやさんの著作は、従来のものの見方を逆説的にとらえます。読んでいると、こうしなければならないという凝り固まった私の気持ちが軽くなるようでした。そこで今回は、ひろさちやさんの著作をもとに、罪悪感を癒やす心理学をお届したいと思います。
あるとき、ひろさちやさんは、夫をがんで亡くした妻から、『私はだめな妻です。ただ、おろおろするばかりで、夫に何もしてあげられなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいです」というお話を受けたそうです。
その時、ひろさちやさんは、『おろおろするということは、すばらしい愛情の表現なんです。愛しているからこそ、おろおろするのです。それでいいのですよ』と伝えたのです。
これを読んだ時、『おろおろする』ことが、してあげること?そんなとらえ方をしてもいいの?と驚いたことを覚えています。
大切な人が困っていたり、苦しんでいる。つらい思いをしているのではないか。そんな場面を想像して、自分も苦しい思いをすることがあります。自分は、もっと何かできなかったのだろうかと考えたり、自分はなんて無力なんだろうと、自分の無力さに落ち込むこともあるかもしれません。
ひろさちやさんは、こうも書いています。『何かをしてあげたい、してあげたいとやさしい気持ちを持った人ほど、何もしてあげられない現実に悩むことになる』と。
そんなとき自分は変わらなきゃとか、自分を変えなければならないとか、思うこともあるのではないでしょうか。
でも、私が理解した、ひろさちやさんの言葉は違いました。相手を気にかけているだけで、十分なんだよ。たとえ何もできなくても、自分を責める必要はないんだよ。
あなたは、自分を変えなければならないなんて思わなくてもいい。そのままでいいんだよと、教えてくれているように感じました。
罪悪感を癒やすことも同じです。相手に役に立つことをしたかった。相手に助けになることをしてあげたかった。そう思うのは、あなたが優しいからでしょう。
でも、私たちは、本当の意味で、誰かに何かをしてあげられるというのは、難しいのかもしれません。それでも、自分を責める必要はないし、自分が悪いと思う必要はないと、ひろさちやさんは語っているのではないでしょうか。
つまり、相手を気にかけることもできることの一つと言っていいのだとひろさちやさんは教えてくれていると私は思いました。
行動が大事。それはそうだと思います。だからこそ、責任感が強い人や感受性が豊かな人ほどつらい思いをするのかもしれません。でも、ひろさちやさんの言うように、「気にかけているなら、それで十分。」自分を責めなくていいのです。
ポイント
・責任感が強い人や感受性が豊かな人ほど、つらい思いをすることも。
・相手を気にかけることもできることの一つ。
・自分を責めないことだ大切。
参考文献
ひろさちや. これが仏教 今より幸せになる知恵27話. PHP研究所, 1995.
(なお、本文中の『』内は直接引用)
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