緊迫した世界情勢、悲惨な状況の報道が続くなか、若い時に夢中になった遠藤周作のエッセイを改めて読む機会がありました。私は、遠藤周作が小説やエッセイにおいて善と悪、光と影、そして罪について考察していると思っています。私は、彼の作品を通して、自分の不完全さを知ったとき、思いやりの必要性も同時に感じました。そして、そのことは、心理学の発達課題にもつながっていると考えました。そこで、今回は、「統合」の罪悪感を癒やす心理学です。
● マイナスのなかにプラスがある
「マイナスのなかにプラスがある」遠藤周作のエッセイにある言葉です。これは、努力すれば報われるとか、今頑張れば後でいいことがあるという意味ではないようです。遠藤周作自身が、結核の療養生活で無為に過ごしたと思った時間でも、振り返ってみると、小説家としての糧になっていたということがエッセイのなかで綴られています。
さらに、遠藤周作は、モーリャックを引用しています。『「人に与えた苦しみ」だって無駄にしてはいけない』人から受けた苦しみもつらいものです。同様に、あるいはそれ以上に、人に与えてしまった苦しみはも苦しいものです。それは、自分による行為であり、しかも、自分が意識的・無意識的にしたことだからです。
でも、一見マイナスに思えることでも、そのなかに、回復の糸口があるというのです。それに目を向けることの大切さを遠藤周作は語っています。
罪悪感を癒やすことでも同じです。無駄にしない、活用するというと、何か都合のよいエゴイズムのように聞こえるかもしれません。僕が悩んだのもそのエゴイズムでした。でも、そもそも人間は不完全なものなのです。必要なのは、完全さを求めて自分を罰することではなく、慈悲や思いやりでした。
私自身、若い時に家から出られなくなったことがあります。外に行っても、ただ歩くだけ。そして、図書館や本屋にずっといました。その時は、無為に過ごすことで自分を罰していたのだと思います。あるいは、必死に救いを求めていたのだと思います。
その時、カウンセリングというものを知って、電話で話をしたのです。私の話を親身に聴いてくれたカウンセラーは、罪悪感に押しつぶされそうになっていた私を信じてくれました。そして、慰めの言葉、励ましの言葉をかけてくれました。
エリクソンの老年期の発達課題に、「統合vs絶望」というものがあります。生きていくなかで、私たちには、いいことだけでなく、そうでない経験もあることもあるでしょう。
他者に与えてしまった苦しみも、経験するかもしれません。よかれと思ってしたことでも、後になって間違っていたと思うこともあるかもしれません。前に進むためには、そうしたことを自分自身のなかに、統合していくことが大切になってきます。
罪悪感を癒やして手放す過程では、マイナスの体験のなかに、何か糧になることを見つけることが必要です。そのためには、誰かに語ったり、あるいは、手紙に書いてみたりして、自分から放して客観的に見つめる作業が役に立つと思います。
ポイント
・一見マイナスと思えることに、プラスを見つけること
・誰か信頼できる人に話してみること
・投函しない手紙を書いてみること
参考文献
遠藤周作, 生き上手 死に上手, 文春文庫, 1994年.
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