自分を責めすぎないためには、社会モデルで考える

投稿日(Posted on): 2023年9月14日 | 最終更新日(Last Updated on): 2023年12月6日 by 河野傑

社会福祉の分野において、「社会モデル」という考え方があります。それは、不便さはその個人の側ではなく、社会の側に属すると考えます。この「社会モデル」で考えて、過度の自責感を見直してみてはいかがでしょうか。

「ガッ・・・」 ベビーカーを押していると、前輪が歩道の段差にあたりました。とあるショッピングモールの入り口付近にある、歩道の縁石にぶつかったのです。そのショッピングモールには、乳幼児グッズのお店もあります。それなのに、なぜこんなところに段差があるのでしょうか。ショッピングモールの入り口に向かう歩道なので、その部分の縁石は、一応低くはなっています。しかし、低くはなっていますが、地面からは3cmほどの高さがあります。ベビーカーの前輪を持ち上げなければ、その縁石を乗り越えられないのです。ベビーカーには子どもが乗っているだけでなく、他にもショッピングモールで買った荷物がストローラーにくくられています。かなり重くなるため、前輪だけ持ち上げるのも、大変なのです。

   

20代の頃、脳性麻痺や肢体不自由の方のグループホームで、仕事をしていたことがあります。その仕事のなかで、車いすを押して散歩に一緒に出かけることがありました。車のあまり通らない路地裏を歩くのですが、その時も段差が多かった記憶があります。段差があるコースを避けたり、越えなければならない段差は、前輪を少し浮かせて進みます。静かに衝撃がないように押すことを学びました。

   

普段歩く分には、気にならない段差です。3cm-5cmの段差。車いすを押してみたことではじめて、地面の様子に気が付きました。

   

ベビーカーにしても、車いすにしても、道幅が狭くて通れなかったり、段差があって苦労したりすると、自分たちのことは想定されていないんだなと、寂しい気持ちになります。なんでこんなところに来たんだろう、来ければよかったとがっかりします。

   

社会福祉の分野では、社会モデルという考え方があります。この社会モデルというのは、その不便さはその個人の側ではなく、社会の側に属すると考えます。段差や階段があるために、ベビーカーや車いすが通れないのは、ベビーカーや車いすの側の問題ではなく、その段差や階段の側の問題であると考えるのです。そこで、その段差や階段の代わりに、スロープやエレベータなどを設置して対応することになります。

   

それは、セルフコンパッションをはぐくむことと同じです。自分が悪いと思ってこれまで自分のことを変えようと思ってきたのではないでしょうか。自分が変わらなければ、自分がなんとかしなければ、と自分を責めていたのではないでしょうか。社会モデルで考えるときには、自分を責めない代わりに、何かや誰かを責めるというわけではありません。

   

自分を責めるという、ある種の思考停止から、今何を変えればいいのか考える、一歩にすることです。

   

自分が悪い、自分のせいだと思って、自分だけを責めている時は、前向きな建設的な解決策は思いつかないものです。自分を変えるための無理な目標を設定して、とにかく頑張るという努力をしてきたのかもしれません。

   

それでは、結局のところ、やる気を失い、無気力になってしまう。段差や階段という問題の解決方法であれば、段差のないモールに行くか、段差を埋めるスロープをかけるか、誰かに持ち上げてもらうなど、いろいろな方法があると思います。

   

自分を責めるよりも、自分が置かれている状況や構造にアプローチしてみることで、解決策が見つかるかもしれません。


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