バイリンガルにおける干渉は否定的な側面が強調されます。でも本当にそうでしょうか?言語獲得の過程において、伝えたいこと、伝えようとすることについて、一生懸命考え、言葉を紡ぎ出そうとするなかで起こる干渉。それは、干渉というよりも知識や体験を総動員して一生懸命考えて言葉を紡ぎ出しているかのようです。そんな言語獲得の背景を知ると、言い間違いだからダメ、不自然な表現だからダメというとらえ方は、一面的で乏しい理解なのかもしれません。その口、その全身から出てくることばに耳を傾け、語らせ、理解していきたいものです。
バイリンガルの言語獲得の過程では、干渉がしばしば起こります。干渉とは、話している言語が話していないもう一方の言語から影響を受けることによって、言い間違えてしまったり、不完全な表現になってしまったりすることです。一般的に、干渉というのはない方が望ましいな、2つの言語を使い分けられるのがいいと考えがちです。
しかし、干渉は長い目で見て、見守っていこうことが大切です。同時に、干渉は本当によくないものなのかどうか、いま一度考えてみることも重要です。今回のコラムでは、この干渉についてもう少し検討してみたいと思います。
グロジャン(2018)は、「干渉は、むしろ役に立っている」と述べています。これはどういうことでしょうか?これは、干渉を言い間違えていると理解するのではありません。思考の過程でどう言おうかと試行錯誤している状態であると理解するのです。
つまり、不完全な表現ではなく、2つの言語で考えた、その子らしい完全な表現なのです。佐伯ら(2013)によると、「ピアジェのいう自己中心語について、ヴィゴツキーは外言が内面化していく過程の不完全な内言であるとした。」と述べられています。外言が内面化していく過程では、「この状況ではどの言語を話すべきか」という認知も働くことでしょう。周りにはどんな人がいて、ここはどんな場所で、この環境ではどの言語を話すのが適切なのか判断することでしょう。言語獲得の過程において、このような認知や判断も同様に発達しています。
バイリンガルは、ある1つの言語を話すときともうひとつの言語を話すときとで、別々のパーソナリティではありません。ふたつの言語を持ったひとつのパーソナリティなのです。ふたつの言語を使って考えたり言葉を産出しようとするのは、自然なことです。カミンズの2言語相互依存モデルとあわせて考えると、ヴィゴツキーの内言に相当する部分は、2つの言語が重なっている部分です。その部分の2言語が、思考過程で産出されてしまうことが干渉として観察されるのだろうと思います。
だから、干渉というよりも、相互利用とか共同利用に近いのだろうと考えられます。フランソワ・グロジャンは、こう言っています。「干渉は話し言葉にせよ、書き言葉にせよ、言語産出を豊かにし、ニュアンスに富み、多彩なものとします。」グロジャン(2018)
言語獲得の過程で、伝えたいこと、伝えようとすることについて、一生懸命考え、言葉を紡ぎ出そうとしているプロセスで、干渉が起こっていると考えられます。干渉というよりもむしろ、知識や体験を総動員して一生懸命考えて言葉を紡ぎ出しているかのようです。
ですから、子どもが何かを言おうとしているとき、伝えようとしているとき、それがたとえ不完全なように思えても、その口、その全身から出てくることばに耳を傾け、語らせ、理解していきたいものです。
参考文献
・フランソワ・グロジャン著 西山教行監訳 石丸久美子・大山万容・杉山香織 訳 バイリンガルの世界へようこそ 複数の言語を話すということ 2018 勁草書房
・佐伯素子・斉藤千鶴・目良秋子・眞栄城和美著 きほんの発達心理学 2013 おうふう
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