なぜ不健全な罪悪感を持ってしまうのか

投稿日(Posted on): 2023年9月14日 | 最終更新日(Last Updated on): 2023年12月6日 by 河野傑

罪悪感をもちやすい人は、他人のことを考えて配慮したり、共感したりする思いやりのある方が多いです。罪悪感のなかには、背負う必要のない不健全な罪悪感もあるので、例えば「和をもって尊しとなす」、「他人に迷惑をかけない」という規範意識に囚われ過ぎていないかに気づくことも必要です。

   

「和をもって尊しとなす」、「他人に迷惑をかけない」という規範意識のなかでは、罪悪感は起こりやすいと考えられます。今回は、「NOと言えないカラクリに気づいてから罪悪感を癒やす心理学」です。

   

アダルト・チルドレンという言葉があります。最近では HSPという言葉も出てきました。アダルト・チルドレンは、機能不全家族で育った人のことを言います。家族、とくに親との関係において課題があったりします。またHSPは、Highly Sensitive Personと言って、繊細な性格に由来する生きづらさを抱えた人を示しています。

   

これらは病名ではありません。どちらの言葉も、生きづらさを示す状態やパーソナリティのひとつの側面だと考えられます。生きづらさの背景には、さまざまなものがあります。

   

人間関係、とくに親との関係、そして友人や会社の人間関係で、距離感をうまく調節できないというコミュニケーションスキルの課題があったりします。また、敏感すぎる感受性、他人がどう思うかを過度に気にする傾向などもあるでしょう。

   

アダルト・チルドレンやHSPのなかで、罪悪感という感情がポイントになることがあります。ここで、罪悪感は共感性と裏腹な面があります。なので、罪悪感をもちやすい人は、他人のことを考えて配慮したり、共感したりする思いやりのあるやさしい方が多いです。

   

「人を喜ばせようとするのは、罪悪感の肥沃な土壌になる」「独立を主張しようとするときにも罪悪感を感じることがある」ーライフ・レッスンより

   

言わば、共依存的な状態、相手との境界線がうまくひくことができていない状態です。罪悪感を癒やすためにはこうした「からくり」に気づくことも必要です。罪悪感のなかには、背負う必要のない不健全な罪悪感もあるからです。

「NOというとき、必要以上に罪悪感を持つ必要はない」「権利を行使するときに、罪悪感や無力感を持たなくてもいい」ー「増補改訂 セルフ・アサーション・トレーニング」より

   

相手に悪いから、・・・、自分が我慢すれば、・・・と思ってしまう。自己肯定感の低さから、役に立たないといけないと思って、人を喜ばせようとしてしまう。

   

実は僕自身にもそういう経験があります。小さい頃から母親の愚痴を聞き、仕事で忙しくいつも不機嫌な父親に怯えていました。両親が不仲なのは、自分のせいだと思いながら、学校や塾での勉強を頑張って、いい成績を取って、いい子になることで、親を喜ばせようと思っていました。やりたいことをやってきたわけでもない。そもそも自分で決めたことがない。いつも親の顔色を見ながら、家族の対立が起きないように、自分が我慢する選択をしてきたと思っていました。それは、自己主張してしまうと家族が壊れてしまうと思ったからです。

   

「和をもって尊しとなす」「他人に迷惑をかけない」という規範意識のなかで、自分が我慢すればいいんだと思ってきたり、自分はいつも損ばかりしてきたと思うことがあるかもしれません。でも現実的には、成長することとは、聖人君子や何でもできる完璧さを目指すことではなく、できない時にはできないと断り、助けが必要なときには助けてと言えることなのですね。だから、ときには、NOと言うことを自分に許してあげてください。適切な境界線を引いてください。

   

あるいは、YES But (相手の意見を尊重して認めるYesと自分の意見を切り出すBut)から始めてみてもいいでしょう。断ることは相手を否定することではありません。罪悪感のなかには、背負う必要のない不健全な罪悪感もあるので、このような「からくり」に気づくことも必要になります。

   

参考文献

・菅沼憲治「増補改訂 「セルフ・アサーション・トレーニング」東京図書、2017年

・エリザベス・キューブラ・ロス、デーヴィッド・ケスラー著、上野圭一訳「ライフ・レッスン」角川書店、2004年


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