
夕食を終えた夜、小学生の子どもの手が、宿題を前にして止まっていました。
夜にも仕事がある私のことを知っていた子どもは、「もうワークじゃないの?」と声をかけてくれたが、私は「ワークより、あなたの勉強の方が大事。一緒にやろうか」と返しました。
すると、少しスイッチが入ったようで、自然と机に向かい始めました。
私は問題文を子どもに読ませるのではなく、絵本の読み聞かせのように、私が声に出して読むことにしていました。
それは、「自分で読みなさい」と言っても、わからなかったり、間違えてしまう不安や怖さから、自分で読むことを嫌がることに気づいていたからです。
自分ですべて取り組むのはハードルが高いのだという見立てがありました。
私が読み進めると、子どもも一緒に読んでついてこようとする場面も出てきました。
そして、子どもは耳で聞いて理解したのか、式を立て、計算を始めたのです。
「できたね」「そうそう」と相槌のように声をかけると、ハイタッチを求めるほどの笑顔を見せてくれました。
このささやかなやりとりは、「外国につながる子ども」の学習支援においても、重要な示唆を与えてくれ流のではないでしょうか。
「読むこと」へのハードル
外国につながる子どもにとって、日本語の「読み」は大きなハードルになることがあります。
特に小学校中学年以降、学習内容が抽象化し、「生活言語(BICS)」ではなく、「学習言語(CALP)」が求められる場面が増えてくるためです。
Cummins(1981)は、生活言語が比較的短期間で習得可能なのに対し、学習言語は5~7年の習得期間を要することを指摘しています。
これは、教科学習において“わかっているふり”が通用しにくくなるという意味でもあるのです。
「沈黙期」へのまなざし
新しい言語環境、あるいは複数の言語環境に置かれた子どもには、「沈黙期」が見られることがあります。
これは、語彙や表現力の不足によって“話せない”のではなく、“聞いて理解する力を蓄えている”時期です。
この時期には、間違いを指摘することよりも、「一緒に読む」ことが、大切です。
また、やみくもに数をこなすことよりも、ひとつひとつをゆっくり時間をかけてとりくむことで、安心と自信という土台を築くことにつながります。
「読めること」と「わかること」は必ずしも一致しません。
だからこそ、スキャホールディング(足場かけ)として、大人が読み聞かせたり、言い換えたりしながら、意味にたどりつくプロセスを支えることが、重要な学習支援となるわけです。
それは、バンデューラ(Bandura, 1997)が提唱した「自己効力感」を育むプロセスにもつながります。
できなくても、できていても、隣に一緒にいて見てくれているというまなざしによって、安心や自信を深めていくのです。
このように、読み聞かせや並走的な支援は、子どもが“ひとりでできるようになるための橋渡し”となります。
それは、「合っているか・間違っているか」以上のことだと思うのです。
そして、「できないことをできるようにすること」よりも大切なことなのかもしれません。
親の葛藤もまた、受け止めたい
とはいえ、親としての本音もあります。
つい、宿題や勉強は子どもに自分でやってもらって、自分は食事の支度や片付け、明日の準備に取りかかりたくなってしまうのです。
「どうしてここまで付き添わないといけないのか」と思ってしまうこともあります。
それは決して悪いことではありません。
親もまた、削られながら、手探りで日々を生きているのです。
だからこそ、「やらせる」のではなく、「一緒にやる」ことの尊さを、ほんのひとときでも感じられることは、双方にとっての癒しとなる大切な思い出です。
おわりに
外国につながる子どもにとって、「読むこと」は言語だけでなく文化や価値観への入り口でもあります。
その扉の前で、「読むことが怖くない」と思えるように、「一緒に読む」時間が、やさしい足場かけ(スキャホールディング)となっていくことを、静かに信じています。
参考文献
- Cummins, J. (1981). The role of primary language development in promoting educational success for language minority students.
- Bandura, A. (1997). Self-Efficacy: The Exercise of Control. New York: W.H. Freeman and Company.
- Vygotsky, L. S. (1978). Mind in Society: The Development of Higher Psychological Processes. Harvard University Press.
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