
暑い日、扇子をひらいて
ある日、子どもが学校に扇子を持って行きました。
最近の猛暑の影響もあり、小学校でも扇子やうちわの持ち込みが認められるようになってきたのだそうです。
最初は、家にあった普通のうちわを持ってほしいなと思っていたのですが、しばらくして、「友達が持ってるみたいなやつがいい」と言い出しました。
理由を聞くと、「扇子を持ってる友だちがかっこよかったから」とのこと。
私は以前使っていた和柄の扇子を渡すと、子どもはうれしそうにランドセルにしまい、少し誇らしげな表情で登校していきました。
その表情は、「みんなと同じになれた安心」と、「少し大人に近づいたような自信」の入り混じったものでした。
「同じでいたい」は、安心のかたち
子どもは成長のなかで、「自分らしさ」と「みんなと同じでいたい」という気持ちのあいだを揺れ動きます。
特に小学校中学年頃からは、友達との関係がより密になり、「浮きたくない」「仲間に入りたい」という気持ちが強くなります。
心理学者カート・レヴィンのグループ・ダイナミクス理論でも、人は集団のなかで自分の立ち位置や役割を意識し、適応しながら関係を築くとされます。
子どもにとって「同じ持ち物」は、言葉では説明できない心の距離を縮める“合図”のようなもの。
ときに、ひとことも交わさずに通じ合える、静かな橋渡しになります。
まねっこは、自分をつくる入り口
「まねをする」ことは、幼い子どもにとって自然な学びのかたちです。
社会的学習理論を提唱したバンデューラ(A. Bandura)も、「人は観察と模倣を通じて行動を学ぶ」と述べています。
つまり、扇子を持ちたいという行動の裏側には、「友達と同じになりたい」という気持ちと同時に、「こんなふうになりたい」という自己イメージへのあこがれがあるのです。
「ことばにならない」から始まるつながり
外国につながる子どもは、感情や考えを言葉で説明するのがあまり得意でない時があるようです。
とくに理由や気持ちをうまく言葉にできないことがあります。
遊びたいときに遊びたいと言わずに、これをするのが好きと言ったり。
自分で選択したのに、違うものがよかったと不満やないものねだりのように、葛藤や後悔を表現したり。
これは、発達の段階としてごく自然な姿であり、とりわけ外国につながる子どもたちにとっては、言語的に十分に表現できない場面が日常のなかにたくさんあります。
そんなとき、一緒に笑った時間や、同じ遊び、持ち物などが、ことば以上に関係を支えることがあります。
非言語コミュニケーションの力
心理学者アルバート・メラビアンの研究によれば、感情を伝える場面では、「話す内容は7%、声のトーンが38%、視覚情報(表情や身ぶり)が55%」を占めるとされています(いわゆる「メラビアンの法則」)。
もちろんすべての状況に当てはまるわけではありませんが、「伝えたい」「つながりたい」と願うとき、言葉以外の要素が豊かな理解を支えることがあるのです。
共通体験が減っていく時代に
私たち親世代が育った頃は、「昨日あのテレビ見た?」という一言から友達との会話が始まりました。
テレビの地上波放送や新聞のテレビ欄を通じて、ほぼ全国の子どもたちが“同じ番組”を共有していた時代でした。
しかし今、子どもたちはそれぞれ異なるメディア、異なる言語、異なる家庭文化のなかで暮らしています。
特に外国につながる子どもたちは、文化や言葉の違いによって、共通体験を見つけることが難しい場面に直面します。
それでも、「扇子をひらく」という一瞬の動作や、同じ持ち物をきっかけにして、言葉にならないつながりが生まれることもあります。
共通体験は、「押しつけられるもの」ではなく、「自分から選び取るもの」であるとしたら、子どもが「同じでいたい」と願う気持ちは、安心や信頼を求める大切なサインなのかもしれません。
おわりに──心がひらくとき、ことばはあとからやってくる
「友達と同じ扇子を持ちたい」
その気持ちは、単なる“まね”ではなく、子どもなりの関係づくりへの第一歩でした。
ことばよりも先に、心が動き、しぐさが伝え、まなざしが響き合う。
そんな非言語のつながりが、子どもたちの間で、ゆるやかに、確かに育まれていくこと。
そして私たち大人ができるのは、子どもが「同じでいたい」と感じたとき、それを押しとどめるのではなく、そっと背中を押し、その願いに耳をすますことではないでしょうか。
あの扇子のように――目に見えないけれど、やわらかく心をつつむ風のようなつながりが、子どもの心に、きっとやさしい記憶として残っていくはずです。
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