
子どもの漢字練習の場面
ある朝、子どもが宿題の漢字練習をしていました。
書いていたのは「雲」。1文字を何度か繰り返す練習です。
最初のマス目、かんむりの部分が大きすぎて、下のパーツがはみ出していました。
たしかに、かんむりが4画以上あると、上部分の構造が混み合って、つい大きくなってしまいそうです。
「バランスが悪いな」と思い、「大きすぎるんじゃないか」と口が開きかけました。
でも、言葉を飲み込みました。
すると2回目、子どもは自然に、かんむりを上の方にコンパクトに書いていました。
思わず私は、心の中でつぶやきました。
「教えなきゃ」と思っていた自分が恥ずかしい。
子どもは、自分で気づき、試して、学んでいたのだと。
このとき感じたのは、「役立ちたいという焦り」
このとき私が感じたのは、「子どもを信じきれない不安と、役に立ちたいという焦り」でした。
子どもが失敗しないように、正しく導こうとする気持ち。
「教えなければ」という義務感
「このくらいは書けなければ」という、ある意味の正義感でしょうか。
それは一見、子どものためのようで、実は「自分が安心したい」という気持ちの裏返しだったのかもしれません。
けれど、子どもは言葉を与えなくても、自らのペースで学んでいきます。
その姿を見たとき、私は学びの意味を問い直しました。
このことは、「カウンセリングの共感的理解」にも通じる
この気づきは、心理学者カール・ロジャーズが語った
「共感的理解(empathic understanding)」
という概念に通じます。
それは、「相手を理論で理解する」のではなく、
「その人の世界に立って、何が起きているのかを感じ取ろうとする姿勢」
のことです。
ロジャーズは言います。「人は、自分の内側に答えを持っている」と。
私たちができるのは、その人が答えを見つけられるよう、そばで共にいることなのかもしれません。
誰にでも「教えなければ」、「ちゃんと導かなければ」と感じる時がある
教える立場であったり、親であるときは誰でも、「教えなければ」「ちゃんと導かなければ」と思う瞬間があると思います。
でも、ときにはその思いをそっと脇に置いて、子ども自身の力を信じてみること。
目の前の子どもと向き合うその瞬間には、
「子どもは、自分の内側に答えを持っている」
そんなそばで共にいる姿勢こそが、関係性を育む道しるべになるのではないでしょうか。
さいごに
子どもが書くその一文字一文字の中に、私たちもまた、祈るような気持ちで立ち会っているのです。
子どもを信じて、その試行錯誤を見守ること。
そんな委ねるという信頼のまなざしの先に、子どもと生きた関係性を築く実践が続いているのかもしれません。
参考文献
Rogers, C. R. (2004). On becoming a person [Kindle version]. Constable & Robinson. (Original work published 1961)
コメントを残す