子どもの沈黙期の心理学 ー子どもの沈黙を理解して寄り添うー


Saying nothing… sometimes says the most. ― Emily Dickinson
何も言わないことが、最も多くを語ることもある ー エミリー・ディキンソン

🌱 言葉にならない時間に、心は動いている

「沈黙期(Silent period)」という概念をご存じでしょうか。

第二言語を学ぶ過程にある子どもが、新しい言語環境に入ったとき、一時的に言葉を発しない時期があります。

この時期は「沈黙期」と呼ばれ、言葉でのアウトプットは少ないものの、脳内では言語のインプット、意味理解、そして心の整理といった内的な働きが活発に進んでいるとされています。

日本語を母語としない子どもたちが、日本の学校生活に適応する過程で、この「沈黙期」を経験することがあります。

沈黙期では、発話の代わりに、何かをよく観察している様子、何かを考えている様子が見受けられます。また時間が経ってから、その時のことを話したり、絵など非言語的な手段を用いて表現したりする場合もあります。

これは、言語的不安や新しい環境への適応努力の表れと言えるでしょう。さらには、その適応がその時、その場でできないものの、本人のペースで理解し考えている過程と言えます。

実はこの沈黙期は、海外ルーツの子どもたちに限らず、日本語を母語とする子どもたちにも見られることがあります。

たとえば、内向的な性格の子どもや、入園・入学・転校といった環境の変化、あるいは家庭での大きな出来事を経験した子どもが、一時的に発話が少なくなることがあります。

その沈黙は、単なる「無言」や「消極性」ではなく、心の整理や環境への適応を図るための大切な過程なのです。

子どもは本人なりに、外の世界と内なる世界との通路を、自分で調整したり、心の“開き具合や他者との関わり方を見極めようとしていると言えるのかもしれません。

それは、すぐに言葉や行動としてあらわれるものではありませんが、子どもの沈黙の中で静かに育まれ、ゆっくりと、少しずつ表へと姿を見せ始める ── 成長へと向かう、静かな準備の時間なのですね。

⚾️ 沈黙は、内的な対話のしるし

子どもが言葉を発しないとき、その内面では何が起きているのでしょうか。

登園や登校の場面で、あいさつができなかったり、友だちの輪に入りづらそうにしていたりする子どもがいます。

傍目には「ぼーっとしている」「反応が鈍い」と映ることもあるかもしれません。

けれど、その沈黙は決して“何もしていない”わけではありません。

子どもは、語りかけられる言葉の意味を、真剣に受け止めようとしています。

ときに言葉だけでは難しいと感じながらも、表情や声の調子など、あらゆる手がかりを通して、必死に理解しようとしているのです。

「いま、話しかけてもいいのだろうか」
「どうすれば、自分の気持ちは伝わるのか」
「この場に、自分がいてもいいのだろうか」

そうした思いを、声にならないまま、心のなかで何度もかみしめている ── 沈黙とは、そんな深い対話の時間でもあるのです。

子どもが沈黙しているその時間は、まるで心の中で、ゆっくりと弓を引いているような“助走”のとき。

大人は沈黙に戸惑い、つい言葉を探してしまいますが、声をかける代わりに、そっと隣に座り、子どもの内面に思いを巡らせながら、静かな時間を一緒に大切にする ── そんな関わり方が、あってもいいのです。

📐「いい子」とは、誰の基準でしょうか?

「いい子」と聞いて、どのような姿を思い浮かべますか?

たとえば──

  • 朝のあいさつを元気よくできる子
  • 「おはよう」と言われたら、しっかりと返せる子
  • 「元気?」と聞かれたら、明るく「元気です」と答えられる子

こうした姿は、先生や周囲の大人にとって「社会性がある子」「立派な子」と捉えられることが多いものです。

つまり、「ルールを守れる子」「先生を困らせない子」こそが“よい子”だという価値観が、私たちの中に無意識に根づいているのかもしれません。

もちろん、集団生活を円滑にするための力として、こうした振る舞いが大切であることは否定しません。

しかし、その「よさ」は、果たして誰の視点から見たものでしょうか。

子ども自身の気持ちや安心感よりも、大人にとっての「扱いやすさ」が基準になってはいないでしょうか。

子どもの本人のペースの本人なりの成長よりも、大人にとってのあるべき成長と言う尺度で測っていないでしょうか。

沈黙期にある子どもたちは、今まさに、状況を理解しようと、周囲の言葉や人の様子を必死に観察しています。

言葉を発していないからといって、こころが止まっているわけではありません。

言葉が少ない、反応が薄い、表情が乏しい―― そんな子どもに対して、どう向き合えばよいかわからず、戸惑いや苛立ちを覚えることもあるでしょう。

けれども、「沈黙期」という視点は、まだ言葉にならない“こころの動き”に目を向けるための、見えない世界へのレンズになるのです。

子どもは、大人を困らせようとして沈黙しているのではありません。

むしろ、世界を理解しようと一生懸命、頭と心を働かせているのです。

そのことに気づいたとき、私たち大人の関わり方も、きっと変わっていくのではないでしょうか。

🏹 沈黙もまた、成長のプロセス

園や学校という「小さな社会」は、子どもにとって挑戦の連続です。

家庭という安全基地から、他者との関わりが求められる世界へと足を踏み出すことは、子どもにとって大きな心理的な切り替えを伴います。

たとえ子どもが言葉を発しない時間があったとしても、それは「成長が止まっている」わけではありません。

むしろ、「成長するための準備をしている」時間なのです。

その沈黙には、さまざまな意味があります。

そして、その意味を信じ、尊重するまなざしこそが、子どもが安心して一歩を踏み出す力になるのだと思います。

   

「問いを愛しなさい。まだ答えを持てない問いを。
答えの代わりに、問いそのものを生きなさい。」


― ライナー・マリア・リルケ『若き詩人への手紙』

   

📚 参考文献・資料

  • Krashen, S. D.(1982)Principles and Practice in Second Language Acquisition.
  • Bervin, J. (2013, November). The power of no. Poetry Foundation. https://www.poetryfoundation.org/articles/74605/the-power-of-no (2025年4月22日参照)
  • Wikipedia: Silent period(2025年4月21日参照)
  • リルケ, ライナー・マリア(1953)『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』高安国世訳、新潮文庫.
  • 武藤理恵(2012)「日本語学習者の沈黙とその意味:状況論的アプローチ」『ALCE日本語教育学会誌』第11号
  • 張雨潔(2019)「学習者の沈黙をどうとらえるか:教育実習のアクションリサーチ」『愛知国際大学言語教育論集』第10号

✉️ 最後に

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。


このコラムが、子どもたちへのまなざしや、日々の子育てに少しでも役立つものであれば幸いです。


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