心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってこと。
かんじんなことは、目には見えないんだよ。
サン=テグジュペリの『星の王子さま』
歴史の中の山下公園 —— 目に見えない「記憶」の上に立つ
横浜の山下公園は、1923年の関東大震災のがれきを埋め立てて造られた臨海公園です。
今では、多くの人が散策やイベントを楽しむ憩いの場となっていますが、その下には、かつての災害の記憶が静かに眠っています。
震災の教訓は、都市づくりのなかに生かされ、目に見えなくとも、今の私たちの暮らしをそっと支え続けています。
この「見えないけれど、たしかに存在するもの」は、人の心の中にもあるのではないでしょうか。
文化や言語を手放すことは、表面的には目に見える変化です。
けれど、その背後には、言葉にならない葛藤や悲しみが潜んでいます。
子どもたちが失ったものは、外から見れば忘れられたように見えても、心の中では、今もなお静かに、そして確かに生き続けているのです。
特に、日本で暮らす「外国につながる子ども」やその家族にとって、移動や環境の変化のなかで失われた文化や言葉は、自覚されにくい「喪失体験」として、深く心に刻まれていくことがあります。
文化的喪失と罪悪感 ——「さみしい」と言えない心の奥で
たとえば、子どもたちは新しい環境に慣れていくなかで、日本語を日常的に使うようになり、母国語を話す機会が次第に少なくなっていきます。
そしてある日、「話したいのに言葉が出てこない」「母国語でうまく気持ちを伝えられない」—— そんな自分に気づく瞬間が訪れます。
「家族と話が合わなくなってしまったのではないか」「自分だけが変わってしまったのではないか」そう感じたとき、心の奥に静かな罪悪感が芽生えることがあります。
家族や親戚との別れ。
物理的に離れるということは、「同じ空気を吸い」「同じ風景を見て」「同じタイミングで笑い合える」—— あのかけがえのない感覚が、たしかに失われていくということです。
別れそのものに対する深い悲しみや痛みは、子どもの心に静かに、そして確かに積もっていきます。
そのつらさは、大人が思う以上に長く、心の奥底に残るものです。
だからこそ、「それでも、さみしいよね」「一緒にいたかったよね」—— そんなさりげないひと言が、子どもにとっては心を支える大きな力になります。
文化や言葉といった「目に見えない宝物」を失いかけていることに、子どもたちはうまく言葉にできないまま、
どこか寂しさとともに、静かにその思いを抱えているのです。
スーホの白い馬と「思い出の箱」 —— 失ったものと共に生きる
『スーホの白い馬』という絵本の中で、スーホは大切な白馬を失った後、夢の中で白馬にこう語りかけられます。
「わたしの骨や皮を使って楽器を作ってください。そうすれば、わたしはいつまでもあなたのそばにいられます」
スーホは白馬の骨で馬頭琴を作り、その音色とともに生きていきます。
失ったものが姿を変え、心の中で生き続ける——これは喪失体験と共に生きることの象徴的な物語です。
心理学には、「コンパートメンタライゼーション(compartmentalization)」という概念があります。
これは、矛盾する感情や経験を心の中で一時的に区分けすることで、混乱や不安を和らげようとする心の働きです。
使い方を誤ると、感情にフタをしたままになってしまい、心の深い部分での孤立や断絶を招くこともあります。
しかし同時に、健全なかたちで用いられるならば、心のバランスを保ちながら過去と向き合うための有効な方法にもなり得ます。
たとえば、つらい出来事や大切な思い出を“思い出の箱”にそっとしまい、必要なときにだけ取り出して丁寧に向き合う。
それは抑圧ではなく、心の安全を保ちながら、過去を現在に生かす知恵とも言えるでしょう。
文化や言語の喪失を経験した子どもたちや家族にとっても、これは同じです。
「過去を忘れる」のではなく、その記憶や経験を心の深いところに大切にしまいながら、今を生きる力へと変えていく——そんな柔軟でしなやかな心のあり方が、支えとなっていくのです。
実際、心理療法の一つであるナラティブ・セラピーでは、過去の出来事に新たな意味を与え、自分の物語を再構築することで心理的な回復を目指します。
このようなアプローチは、「移動を経験する子どもたち」にとって、特に大切な支えとなります。
サードカルチャーキッズ研究の中で知られるDavid C. Pollockらは、子どもたちが移動や別れに際して心の整理をするための方法として、「RAFT(ラフト)」というモデルを提唱しています。
これは、Reconciliation(和解)・Affirmation(感謝)・Farewell(別れ)・Think Destination(行き先を考える)の4つの要素で構成されるもので、まさに心の「橋」を架けるための準備段階とされています。
たとえば、母国語が話せなくなっていく自分に戸惑いを感じるとき、過去の自分や家族との間に「和解(Reconciliation)」をもたらすこと。
一緒に過ごした人や場所に「感謝(Affirmation)」を伝えること。
そして、物理的な別れだけでなく、習慣や景色、音といった日常への「別れ(Farewell)」を丁寧に行うこと。
さらに、新たな環境について不安だけでなく希望や具体的なイメージを持てるよう、「行き先について考える(Think Destination)」ことが、新しい生活への心の準備につながります。
RAFTの一つひとつのステップは、喪失の痛みに蓋をするのではなく、それを丁寧に抱えながら前に進むための、心理的な通過儀礼とも言えるでしょう。
過去を捨てずに未来をつくる —— 家族とともに歩む「物語」
このような丁寧なプロセスを経て、子どもたちや家族は、自分の過去を「忘れる」のではなく、「持ち続けながら生きる」ことができるのです。
それは、罪悪感や不安に飲み込まれるのではなく、それらを人生の糧に変えていくという、静かで力強い歩みです。
文化や言語を手放す痛みを抱える中で、「自分の中にそれはちゃんと残っている」と感じられること。
そして、「それがあったからこそ今の自分がある」と、自分なりの語りに変えていけること。
「自分なりの語り」とは、誰かに言わされた言葉ではなく、自分の内面から湧き上がってきた、納得のいく物語です。
たとえ他人から見れば「美化している」「都合よく解釈している」と思われたとしても、それがあなたにとって支えとなり、これからの人生を前向きに歩む力になるのならば——その語りは、かけがえのないものとして大切にされるべきです。
山下公園が、かつての震災のがれきの上に築かれ、今では多くの人の安らぎの場となっているように。
子どもたちや家族もまた、喪失の体験を礎にしながら、新しい人生を築いていくことができるはずです。
喪失の痛みを知るからこそ生まれる、やさしさやつながりがあります。
子どもたちがその手に握る“見えない宝物”は、やがて自分自身の道を照らす「みちしるべ」となるでしょう。
私たちはその“見えない宝物”とともに、歩んでいけるはずです。
引用・参考文献
White, M., & Epston, D. (1990). Narrative Means to Therapeutic Ends. Norton & Company.
大塚勇三(再話)、赤羽末吉(画)(1967). 『スーホの白い馬』福音館書店.
横浜市公式サイト「関東大震災の震災復興事業で生まれた臨海公園」
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/midori-koen/koen/koen/daihyoteki/kouen008.html(2025年4月3日確認)
Psychology Today. Compartmentalization. https://www.psychologytoday.com/us/basics/compartmentalization(2025年4月3日確認)
サン=テグジュペリ(著)、内藤濯(訳)(1953). 『星の王子さま』岩波書店(原著:Le Petit Prince, 1946年)
Antoine de Saint-Exupéry. (1943). The Little Prince. Translated by Katherine Woods. Harcourt, Brace.
ポロック, D. C.、ヴァン・リーケン, R.、ポロック, M. V.(著)、加納もも・日部八重子・峰松愛子(訳)(2023). 『新版 サードカルチャーキッズ 国際移動する子どもたち』スリーエーネットワーク.
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