良い子の罪悪感を癒やすセルフ・コンパッション

投稿日(Posted on): 2023年8月29日 | 最終更新日(Last Updated on): 2024年1月26日 by 河野傑

私が小さい頃から、私の両親は不仲でした。二人はよく口論をしていました。親同士の言い争いを見るのはつらいものです。日常的に不機嫌、言い争い、嫌味、捨て台詞、そして涙も・・・を見聞きしたものでした。子ども心に、悲しかったり、無力感を感じたり、自分のせい・・・と思ったものです。夫婦喧嘩を子どもである自分は止めることもできず、どうしていいかわかりませんでした。

   

ある時、子どもの自分にできることとして、「いい子でいよう。親の期待に沿って勉強しよう」と思い至りました。いつなのかは覚えていません。小学校低学年の頃だったお思います。いわゆる良い子、人の顔色を気にする子どもの始まりです。他者からどう思われるか気にしたり、他者の気持ちや期待に敏感な子どもになりました。

   

「察する文化」と形容される日本では、いい意味でもわるい意味でもよくあることなのかもしれません。自分の気持ちよりも誰かの気持ちを優先してしまう。学校や職場で過剰に適応しようとしてしまう。例えば、会社で上司の機嫌がわるいと、自分のせいのような気がして、無理して頑張ってしまう。若い社員が「見せしめ」のために他の社員がいるなかで、叱責されても、それが自分のせいだから、自分の役割だからと受け入れてしまう。「察する」を通り越して、自身がコントロールされてしまうこともあります。「空気を読む」「忖度」なんて言葉もありましたね。

   

心理学、とくに認知心理学では、物事をどう見るかを認知と言っています。誰しもが世界をいかに見るかというメガネをかけていると考えると、メガネが認知というわけです。そのメガネがくもっていると、物事が正しく見えません。また度数が合わないメガネをかけていると、目に負担がかかります。物事が正しく見えていないことにも気づいていない場合もあります。このように、物事をどう見るかという認知が適切に機能していない状態を「認知の歪み」と言っています。

   

認知の歪みのなかに、自責思考(自己関連づけ)があります。自責思考(自己関連づけ)とは、「何か悪いことやうまくいかないことが起きた時に、その責任は自分にある。自分が悪かった、自分のせいで、と考えてしまうこと。実際には自分ではなく相手に責任があったり、誰のせいでもなかったり。あるいは、自分と相手とで責任の割合が半々などの場合や偶然による事故であったりする場合など、いろいろなケースが考えられます。それでも、何かと自分に関連づけて考えてしまう。自分のせいで、自分が悪いと思ってしまう。

   

さらに、ルールを守ることに几帳面である、完璧主義的な子どもの場合は、全か無か思考(二分法思考、白黒思考)になってしまうことも。「自己、他者、状況、世界などを、よいか悪いか、マルかバツかの2種類のどちらかに区分してしまうのです。実際は、白でも黒でもないグレーの状況や、その中間の段階が数多く存在することでしょう。完全にマルでなければ、すべてバツだと考えてしまうのです。

   

このように、自責思考と全か無か思考を合わせれば、自分が100%悪いと思ってしまうような状態です。

   

良い子の場合には、規範意識が高くなります。自責思考と全か無か思考を合わせた思考になりがちです。手のかからない良い子だったのに・・・。素直な子だったのに・・・。という場合には、子どもが我慢していたというケースも実際にはあるのかもしれません。そんな時、セルフ・コンパッション(自分への思いやり)を育むことが有効になってきます。

   

「物事がうまく言っているときに自分を思いやると、喜びに心を開いて存分に味わえるようになります。苦しいとき、つらいときに自分を思いやると、やさしく支えてくれる内面の声となって、自分の美しさや意味をみつけやすくなります」

   

良い子の罪悪感を癒やすのも同じです。

セルフ・コンパッションは、3つの要素から成り立っています。①マインドフルネス、②共通の人間性、③セルフ・コンパッション(自分への思いやり)です。

   

  • マインドフルネス

☞「間違ったなあ、失敗したなという場面で、自分はダメだなと自分を責める感情に注意を向けてそのまま感じてみましょう。その時の気持ちを書いてみてください。経験したこと、その時の気持ちを受け入れてみましょう。

両親がけんかをしていて、怖くつらかった。自分が悪いと思った。自分のせいだと感じたが、何もできず無力感を感じた。それでも、自分が何かしなければと思った。

   

② 共通の人間性

人間は誰しも完璧ではなく間違いがつきものなので、そのような出来事や体験が、よく起こりうるのだという文章を書いてみてください。また可能であれば、背景に思いを理解してください。

その時は子どもなのだから、両親の事情がわからなくて当然。まして人間同士、意見の違いがあるのは自然なこと。両親の仲裁が出来る子供なんていないし、仲裁する必要なんてな買ったんだ。仕事や子育てで疲れていたのだろう。もしも、時間や金銭に余裕があったら、子どもへの接し方も違っただろうし、子どもの進路も子ども自身で決めることができただろう。

   

③ セルフ・コンパッション

仲のよい友達に宛てて書くように、自分に対して優しく、理解のある言葉を書き出してみてください。優しく安心させるようなトーンで、自分自身に対して自分の幸せと健康を大切に思っていることを伝えましょう

親の間で意見の違いがあっても、それは君のせいではないんだ。君は何も悪くなかったんだ。きみが悪かったから両親がけんかしていたわけではないんだ。きみは自分で決めたり、自分の好きなことをしてよかったんだ。そのままで、十分良い子だったんだよ。こんなはずじゃなかったとがっかりしているかもしれない。でも、本当に求めていたものはなんだったのか。こんなはずじゃなかったところから人生の美しさに気づくこともできるのではないでしょうか。


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