今回のコラムでは、レオ・レオニ「じぶんだけのいろ」という絵本を参考に、バイリンガルやバイカルチャーがアイデンティティについてどのように悩み、どうのように道を切り拓いていくか理解していきたいと思います。そして、それをサポートできるような関わり方や環境づくりについて考えてみたいと思います。
レオ・レオニの「じぶんだけのいろ」という絵本をご存知でしょうか。
この絵本にはカメレオンが登場します。
このカメレオンは「自分だけの色」がありません。
季節ごとに周囲の色と合わせて自分の色を変えます。
あるいは、身近な生き物と色を同じくして生きています。
そんな周囲に合わせていたカメレオンは、自分だけの色を求めて旅に出ます。
そんな中、もう一匹のカメレオンに出会います。
作者のレオ・レオニ自身も、第二次世界大戦の影響でイタリアからアメリカへ移住したのだそうです。
新しい土地で、自分のアイデンティティを見つめ直したのでしょうか。
だれか分かり合える存在と出会うことができれば、あるいは、だれか(もしくは何か)とともに生きることができれば、「自分だけの色がない」ということに、こだわらなくてすむのかもしれません。
「じぶんだけのいろ」から「ふたりのいろ」、そして「みんなのいろ」になったのですから。
社会のグローバル化が進んでも、国民国家は基礎にあるわけで、バイリンガルやバイカルチャーの方にとって、立場を明確にしなければならないときもあるでしょう。
グロジャン(2018)では、こう記されています。
「もし、この若者がそのような(筆者注:2つの文化それぞれへの)帰属感を十分に持ち、多様性を引き受けるよう周りから励まされていたら、これは豊かな経験となったに違いありません。」
2つの文化それぞれへの帰属感を感じられるように、環境を整え、関わり方の工夫が必要なのですね。
例えば、このようなことでしょうか。
両方の文化をどちらかが絶対的に正しいと決めつけずに、あるいは切り捨てず、妥協点を見つけたり、擦り合わせたりすること。
仮に採用できなかった他方の文化にも意味や意義を見出して、その価値を伝えていくこと。
なかなかに難しいですが、そうした接し方がグロジャンのいう「豊かさ」なのだと思います。
日々失敗し、反省しながら、このグロジャンの言葉を振り返りたいものです。
グロジャン(2018)は、こうも書いています。
「一つの救済策は、同じような他のバイカルチャーの人と結集し、独自の文化ネットワークや文化のサブグループを作ること」
「自分だけのいろ」を求めていたところから飛び出して、仲間と出会い、そして「自分たちのいろ」を求めるような選択をサポートできるようになりたいものです。
参考文献
・フランソワ・グロジャン著 西山教行監訳 石丸久美子・大山万容・杉山香織訳バイリンガルの世界へようこそ 複数の言語を話すということ 2018 勁草書房
・作/レオ=レオニ 訳/谷川俊太郎 英語でもよめる じぶんだけのいろ 2018 好学社
・フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」レオ・レオニ
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