自己肯定感という言葉をよく聞くようになりました。
大学で勉強する心理学では、そのような用語はほとんど出てこなかったのですが、書店には、「自己肯定感」に関する本がたくさん並んでいます。
自己肯定感とは、ざっくり言うと、「自分*について、これでいいのだ」と思えることなのだとは思います。*自分の人生、自分のキャリア、自分の考え etc.
そうは言っても・・・と心の底から思えない方が多いのでしょう。
普遍的な課題であるとともに、現代的な課題でもあるのだと思います。
「自分を肯定したい」
これは、根源的な願望であり、感情だと思います。
人との比較。
あるべき規範や姿。
こうありたかった自分。
理想の自分。
親の期待に沿えない自分。
会社や家族の期待に沿えない自分。
生きづらい現代社会のなかで、生きづらさを抱えながら、理想の自分、本当の自分、生きがい、自分の居場所を求めているのだと思います。
謙遜の文化、相互依存の文化の日本では多いのかもしれません。
人とのつながりが強かった時代から、個人主義的な要素が求められる時代に移り変わっていくからなのかもしれません。
自分だけがうまくいかないならまだしも、よかれと思っても、あるいは知らないうちに、人に迷惑をかけたり、傷つけてしまうこともあります。
そんなに考え過ぎないことが大事なのかもしれません。
ひねって考えるよりも、うまくいくことなんて一年に何回あるかないか、だから、今日を一生懸命楽しく生きることが大事。
そう思いたいものですし、そう思えるなら、それは素敵なことだと思います。(一見そう思っているように見える人にも、窺い知れない困難があるのでしょう)
でも自己肯定感が低いと、そう思えない。
私自身もそうですし、そういう方は多いのかもしれません。
自己肯定感を高めるのではなく、低い自己肯定感とどうやって上手に付き合っていくか、暗さをどう肯定するかを一緒に考えていきましょう。
最後に、引用で終わりたいと思います。(「孤独について 生きるのが困難な人々へ」 中島義道著)
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「にもかかわらず、なぜ書くのだろうか? 自分を救うため? それのみではない。
たぶん、生きるのが困難な多くの人々にー綺麗ごとではなくー「私の血の言葉」でメッセージを送りたいからなのだ。
呆れるほど苦労し続けてもどうにか生きている私のような者が生息していることを知って「自信」をもってもらいたいのだ。
自分のほうがまだはるかにましだと「自信」をもってもらいたいのである。
あるいは、逆に私の苦労など自分の苦しみに比べれば蚊が刺したようなものだとせせら笑う方々は、心ゆくまでせせら笑った後で、その困難に全身で立ち向かってもらいたいのだ。
「もういいや」とやけっぱちになる前に、絶望して死のうとする前に、困難な生き方もなかなか味わい深いものだと居直ってもらいたいのである。
自分だけなぜこんなに苦労するのだろう?
自分だけなぜこんなに失敗ばかりするのだろう?
自分だけなぜこんなに人から嫌がられるのだろう?
これらは至極まっとうな問いである人間が発する問いのうちで、最も真剣な問いだとさえ私は思う。
こうした問いを大切に抱えて、ごまかすことなく考え続けてもらいたいのだ。
そうすることによって、あなたはきっと自分固有の人生の「かたち」を探りあてることができるだろう。
ぶざまな生き方そのことが、あなたにとってかけがえのない「宝」であることがわかるだろう」
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