しばしば過去の失敗や短所にとらわれ、自己否定のループに陥りがちです。そんな時に,セルフコンパッションによる自己受容と内なる和解を通じて,反すう思考を手放すヒントをお届けします。
“自分への思いやり”は,何かを取り除くことを意味するわけではありません。
マイトリーは,これだけの年月が経ってもまだ狂っていられることを意味しているのです。
これだけの年月が経っても怒りを感じることができます。
これだけの年月が経ってもまだ臆病だったり嫉妬深かったり,あるいは自分には価値がないという感情でいっぱいになることもあるのです。重要なのは,自分を変えようとすることではありません。
Pema Chodron“The Wisdom of No Escape and the Path of Loving-Kindness” Shambhala 1991
瞑想の実践は、自分自身を捨ててより良い何かになろうとすることではありません。
それは、すでに存在する自分自身と友達になることなのです。実践の基盤は、今がどのような状態であっても,今のあなたや私なのです。
あるとき,過去にした恥ずかしい失敗,なんでこんなことをしたんだろうという後悔を思い出し,何も手につかなくなったり,自分に怒りの感情が湧いてくることがあります。
朝ベッドで,嫌な思い出とともに目覚めることがあります。
ふと,人からどう思われるか気にしたり,自分のことを肯定できなくなるような気持ちになることがあります。
そんなとき,これまでの自分を棄て,新しく生まれ変わって良い人間になろうとすること,これまでやってきたことを全て否定して,全く新しい何かを始めることが大切なのではありません。
それでは,何が大切なのでしょう。
それは,今ここにいる自分と友だちになることです。
いいところもそうでないところも同じように認めることです。
これまで自分がやってきたことのなかにある価値を見出すことです。
キリスト教を背景にして,人間の弱さと神のゆるしを描いた小説家の遠藤周作は,このように記しています。
『夜中に布団を引っかぶっていると、昨日、今日のあるいは過去の自分のやった恥ずかしいことが
一つ一つ突然心に甦って、
居てもたってもいられなくなり、
「アアッ、アーッ。アアッ」
思わず、大声をたてているのです。
何だ、そんなことか、と思われる人は気の強い奴。
気の弱い奴なら、この夜の経験は必ずあるはずだ。
それがないような奴は、友として語るに足りぬ。』
遠藤周作『ぐうたら人間学 狐狸庵閑話』講談社文庫
反すう思考を手放すことでも同じです。
自分自身と和解して,自分が自分の友(とも)になることが大切です。
自分自身に寄り添うことです。 私はずっと間違いや短所を否定して変えることこそが成長だと思い込んでいました。
自分に対してだからこそ,自分を責め,自分を否定してしまう。
自分の選択を信じられず,自分の間違いを責め,間違った完璧主義に陥っていました。
自分は幸せになる資格がない,自分には価値がない,自分にコンパッションを向けるのは難しいものです。
自分を変えたりして,もっとふさわしい者(?),より良い自分,今の自分と違う人間になろうとしていました。
自分が好きではない。
いやむしろ自分のことが嫌いでした。
だから,このままでいいのだろうか。いいはずがない。なんとかしないといけない。そう思い込んできました。
だから,短所を「克服」しようとして,ダメな自分を否定して,いつも「新しい自分に生まれ変わりたい」と思っていたのです。
自分を責めることで,批判することで成長できる,傷つきそれを克服することで強くなれるという「修行」をしてより良い自分になれると思い込んでいるのかもしれません。
その努力はすごいことなのかもしれませんが,それは有用だったのでしょうか。役に立ったのでしょうか。
むしろ人生を停滞させ,自己肯定感を低下させ,自分を信じられなくなっていました。 自分を受け入れられなかった自分は,自分を否定することで何者かになろうとしていました。
それでも,いつしか自分の失敗を認め,自分自身と友だちになってから,バランス感覚がついてきて,地に足がついた感覚になりました。
うまくいかない時の自分も,自分の一部なんだと認められるようになります。
ダメな自分が,自分の一部だと認めることで,反すう思考に悩まなくなりました。
だから,自分の失敗や恥を「悪い」と思わないことです。
「悪い」と思うからこそ切り離したり,自分を罰しなければならないと思い込んでしまうのです。
その結果,自分に苦行を課してしまう。
そうではなくて,自分と和解して,友だちになることが大切です。自分に寄り添うことです。
短所のように思えても,弱さによって連帯したり,失敗によって愛されることがあります。
例えば,蘖(ひこばえ)のような,挫折や失敗から生まれる「芽」があるのです。
実際には,わかってくれていたし,それでいいと思ってくれていたのです。
でも,そう思えない自分がいたということ。
だから,自分自身と和解しましょう。自分に思いやりをかけましょう。
条件を課す必要はありません。無条件です。
「こうなったら,愛する」という条件は必要ありません。
「こうでなければ,愛せない」という取引も必要ありません。
子ども時代の自分に話しかけるように,友だちに寄り添うように,自分の苦しみに共感を持って寄り添い,自分に思いやりをかけること,そのことがゴールなのですね。
コメントを残す