伝えたい気持ちを大切にするトランスランゲージング


   

シカの手紙が伝えるもの――言葉の正しさより、大切なこと

    この話題からトランスランゲージングの話を始めるのは、少し意外に思われるかもしれません。

    野口英世の母、シカの手紙をご存知でしょうか。

    アメリカに渡った息子、英世に宛てた手紙です。

    不揃いな文字、くねくねと曲がった文章。

    飾らない率直な言葉が並び、素朴でありながらも、母のひたむきな思いがあふれています。

    その手紙を目にすると、「英世に会いたい」という気持ちが、ひしひしと伝わってきます。

    文法や語彙に誤りがあっても、心を打つ。

    大切なのは、言葉の正しさではなく、そこに込められた思いなのだと、あらためて気づかされます。

       

    言葉の奥にある気持ちを聴く─来談者中心療法と氷山モデル

    カール・ロジャーズの来談者中心療法(Person-Centered Approach)では、相手の「言葉そのもの」ではなく、その奥にある「本当に伝えたいこと」に耳を傾けることが重要とされています。

    特に子どもは、自分の気持ちを適切な言葉で表現することが難しく、大人のように論理的に話せないこともあります。

    そのため、表面的な言葉だけを受け取るのではなく、そこに込められた気持ちや願いを受けとめる姿勢が求められます。

    例えば、ある子どもが「学校なんて行きたくない」と訴えたとします。

    言葉の表面的な意味だけをとらえると、「学校が嫌いなのか」「勉強が苦手なのか」と考えがちです。

    ですが、実際には「友だちとうまくいかず、不安を感じている」「先生に怒られるのが怖い」「家でお母さんともっと一緒にいたい」などの別の感情が隠れていることもあります。

    言葉の奥にある気持ちに耳を傾けることで、子どもが安心して気持ちを話せる環境が生まれるのです。

    ロジャーズは、無条件の肯定的配慮(Unconditional Positive Regard)、共感的理解(Empathic Understanding)、自己一致(Congruence)をカウンセリングの基本原則として掲げました。

    カウンセラーは、クライエントの話を「正しいか間違っているか」「良いか悪いか」と判断はしませんし、否定も叱責もせずに受けとめます。

    クライエントにこうしたらいいですよという提案もしません。

    共感的に理解することで、クライエントは安心して自分の気持ちを表現できるようになります。

    それによって、「間違えても責められない、心配をしなくていい、自分のままでいていい」と感じられるのです。

    その結果、自らの内面を探求し、自己理解を深めることができるのです。

    さらに、エドワード・ホールの氷山モデルを考慮すると、表に出ている言葉だけではなく、その下にある気持ちを理解することが重要であることがわかります。

    ホールの氷山モデルでは、表面に見える「言葉」や「行動」は氷山の一角にすぎず、その下には価値観や感情、無意識の思いが大きく存在しているとされています。

    つまり、相手が本当に伝えたいことは、言葉だけではなく、声のトーンや表情、態度といった非言語的な要素にも表れているのです。

    例えば、子どもが「もういいよ」と言ったとします。

    言葉だけを受け取ると、「納得したのかな」と思うかもしれません。

    しかし、もしその子が目を伏せ、小さな声でつぶやいていたら、それは「本当はわかってほしい」「悲しいけど諦めた」という気持ちが込められている可能性もあります。

    言葉として表現されたものは氷山の一部に過ぎず、その下にある気持ちに寄り添うことが大切です。

    このように、言葉の表面的な意味だけを捉えるのではなく、声のトーンや表情にも注目しながら、「本当はどんな気持ちなのか」を理解しようとすることが必要になります。

    特に子どもは、感情を言葉にすることが難しいため、大人がそのサインを見逃さずに寄り添うことが不可欠です。

    このように、「何を言っているか」ではなく、「何を伝えたいか」という感情や願いを受け止めることこそが、子どもが安心して自分を表現し、信頼関係を築く鍵となるのです。

       

    私自身の失敗――正しさを求めすぎて見落としたこと

    実は私自身、「正しい日本語を教えなければならない。」そんな思いが強く、つい「違う、そうじゃない」「なんて言いたいの?」「こう言いたいの?」「そういう時はこう言うの!こうでしょ?」「要するになんなの?何が言いたいの?」と、言葉の正確さばかりに意識が向いていました。

    正しさにこだわりすぎていたのです。

    子どもが自分なりに話そうとしているのに、「ちゃんと」「正しく」話すことを求めるあまり、本人の気持ちを大切にする視点が抜けていたのです。

    その結果、子どもの話し方が変わってしまった。

    いつの間にか、子どもは「たのしかった」と言えるような単純な話題しか話さなくなりました。

    年齢や発達段階の影響もあるかもしれませんが、間違ったこと、悲しかったこと、トラブルや困ったことなどは、あまり言ってくれなくなったのです。

    うまく説明することができないと思ったからでしょうか。

    それとも、楽しかったことだけ言っていれば、親を困らせることなく会話がスムーズに進み、面倒なことにならないと気づいたからでしょうか。

    言葉の正しさを求めすぎることで、子どもが「話すこと」そのものに慎重になり、言葉を選びすぎてしまう環境を作ってしまったのかもしれません。

       

    外国につながる家族のなかのトランスランゲージング

    外国につながる家族のコミュニケーションも同じです。

    大切なのは、伝えたい気持ちを尊重すること。文法的な正しさにこだわりすぎず、子どもが持っている表現方法を最大限に活用し、自分なりに工夫しながら伝えようとする力を育むことが、豊かなコミュニケーションにつながります。

    ここで注目されるのが、トランスランゲージング(Translanguaging)という考え方です。

    トランスランゲージングとは、バイリンガルや多言語話者が2つ以上の言語を柔軟に行き来しながら、自分の持つすべての言語資源を活用して意思疎通を図る言語実践です。

    従来の「言語は分けて使うもの」という考え方とは異なり、自分の言葉のレパートリー全体を使って思考し、学び、表現することを肯定的に捉えるアプローチです。

    バイリンガルの子どもが、使える言葉を自由に組み合わせながら、自分の言いたいことを伝えようとする自然な姿勢と言ってもいいでしょう。

    例えば、日本語と英語を話す子どもが、「I don’t want かたづけ!」と英語と日本語を混ぜて話したとします。

    かたづけたくないんだね、まだ遊んでいたいんだね、作ったものをこわしてしまうのが惜しんだね、また次の日に続けて遊びたいんだね、などなど。

    文法的には完全ではないかもしれませんが、言いたいことは明確で、十分に伝わります。

    こうした自由な表現が、子どもが言語を使いながら自己表現し、学びを深めていくための大切なステップになります。

    子どもが自分の気持ちを自由に表現できる環境は、自己肯定感を育み、社会性やアイデンティティの発達にも大きく貢献します。

    「この言語で話さなければいけない」「間違ってはいけない」というプレッシャーから解放されることで、子どもはより自然に、自分らしい言葉で世界と関わることができるのです。

    このように、トランスランゲージングは、単に言葉を混ぜることではなく、子どもが持つ言語の力を最大限に活かしながら、学び、成長し、自己を表現するための大切な手段なのです。

    大切なのは、伝えたい気持ちを尊重すること。

    文法的な正しさにこだわりすぎず、子どもが持っている表現方法を最大限に活用し、自分なりに工夫しながら伝えようとする力を育むことが、豊かなコミュニケーションにつながります。

    これは、トランスランゲージングの考え方にも通じるものです。

       

    まとめ:伝えたい気持ちを受けとめることの大切さ

    だから、文法的に間違ってもいい。使える語彙が少なくてもいい。言語が混じってもいい。

    その時、たとえ完璧に理解できなくても、伝えたい気持ちそのものを受けとめることが何より大切なのです。

    これこそが、「伝える気持ちを大切にするトランスランゲージング」です。

    注意したり、訂正したりし過ぎずに、「何を言っているか」ではなく、「何を伝えたいか」に耳を傾けることが大切なのですね。

       

    参考文献・参考資料

    書籍

    • García, O., & Wei, L. (2014).  Translanguaging: Language, bilingualism and education. Palgrave Pivot.
    • García, O., Ibarra Johnson, S., & Seltzer, K. (2024). トランスランゲージング・クラスルーム──子どもたちの複数言語を活用した学校教師の実践 (佐野愛子 & 中島和子, 監訳). 明石書店.
    • Hall, E. T. (1993).  文化を超えて (佐藤信行, 訳). TBSブリタニカ. (Original work published 1976)
    • 諸富祥彦. (2021). カール・ロジャーズ カウンセリングの原点. KADOKAWA.

    Webページ


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