言葉が出ないときに——沈黙期の子どもたちと心の声


もどかしさが行動に変わるとき

学校の休み時間、友達と遊んでいるときにちょっとした誤解が生まれます。

思ったことをうまく言えない子は、そのもどかしさから、つい手が出てしまうことがあります。

そんな場面を見て、「どうして言葉で言えないの?」と大人は感じるかもしれません。

「沈黙期」は自然なプロセス

実は、外国につながる子どもや多言語環境で育つ子どもには、「沈黙期」と呼ばれる時期があります。

母語と新しい言語の間で心が揺れ動き、頭の中では理解できても、口から言葉として出すことが難しい時期です。

第二言語習得理論で知られる**スティーヴン・クラッシェン(Stephen Krashen)**は、この「沈黙期」が自然で一時的な現象であることを示しました。

言葉を聞き取り、内面化する準備が整っていても、アウトプットには時間が必要なのです。

正論と、子どもの立つ瀬のあいだで

保育園や幼稚園の先生は、「お家でも『叩いたらダメだよ』と伝えてくださいね」とアドバイスをくれることがあります。

それは正論であり、社会生活を送る上で必要な指導です。

けれども、家庭でも同じ言葉を繰り返すと、子どもは「どこでもダメな存在だ」と感じ、立つ瀬を失ってしまいます。

子どもは本当は、叩くことが良くないことを理解しています。

ただ、その理解と同時に「言いたいのに言えない」もどかしさが行動となってしまうのです。

個人ではなく、社会・環境の影響

ここで大切なのは、「叩いた=乱暴な子」と短絡的に結びつけないことです。**生物心理社会モデル(bio-psycho-social model)が示すように、行動は個人だけでなく、生物的要因(言語発達の段階)、心理的要因(不安やストレス)、社会的要因(家庭環境、教育制度、偏見)などが重層的に関与しています。

また、心理学でよく知られる「公正世界仮説」(Just World Hypothesis, Lerner)**は、人は「悪いことが起きるのはその人のせい」と考えがちであることを指摘します。

沈黙期の子どもが叩いてしまうのも「その子が乱暴だから」とされがちですが、実際には環境や発達段階に大きな要因があるのです。

ここに「子ども自身を責める必要はない」という視点が生まれます。

大人ができる「心の通訳」

家庭では、むしろ「叩いてしまうくらい嫌だったんだね」「すぐに言葉にできなかったんだよね」と気持ちに寄り添い、理解を示すことが大切です。

心理学者**カール・ロジャーズ(Carl Rogers)**が強調した「共感的理解」と「無条件の肯定的関心」は、子どもにとっての心理的安全性を高める要素です。

大人が「心の通訳者」となってくれることは、子どもが安心して言葉を紡ぐ準備を整える支えになります。

沈黙の奥にある声を信じて

言葉にできない時期は、欠けているのではなく、成長の一部です。沈黙の奥にも確かに心の声は響いています。

大人がそれを受け止めることで、子どもは「言葉にできる日」を安心して待つことができます。

どうか今日、沈黙している子どもを見かけたら、その奥にある「言葉にならない声」に耳を傾けてみてください。

参考文献

  • Krashen, S. (1982). Principles and Practice in Second Language Acquisition. Pergamon.
  • Rogers, C. (1961). On Becoming a Person. Houghton Mifflin.
  • Lerner, M. J. (1980). The Belief in a Just World: A Fundamental Delusion. Springer.

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