
「ズボン、後ろ前だよ。反対だよ。かわいいね」
ある日、コンビニの店員が息子に声をかけてくれました。
よくある日常の一コマだ。思ったことをそのまま口にした、そんな軽やかなやりとりです。
5歳の息子は、恥ずかしそうにズボンの前側になっていたチャック部分を、シャツでそっと隠そうとしました。
その仕草に、私はただ微笑んでいたのです。
けれど、心の奥では小さな反発が湧いていました。
なぜそう感じたのか、その時はまだうまく言葉にできずにいました。
子どもの服装の間違いを指摘することは、大人にとってはちょっとした気づかいなのかもしれません。
でも私には、その言葉が何か大切なものを見落としているように思えました。
それは、息子が「自分で起きて」「自分で着替えて」「自分の足で一歩を踏み出した」――そんなプロセスへの誇りです。
ズボンが後ろ前だったかどうかよりも、「自分でやった」ことのほうが、どれほどの成長でしょう。
もしかすると、大人の目には「ちゃんとズボンを履かせていない親」「気づいて直していない親」に映ったのかもしれませんが。
そう思うと、親である自分の至らなさを指摘されたようにも感じました。
心理学者アルバート・バンデューラ(A. Bandura)は、「自己効力感(self-efficacy)」という概念を通じて、「自分にはできる」という感覚が人の行動や動機づけに大きな影響を与えることを示しました。
子どもは、自らの行動が結果を生む経験を通して、「できた」「できるかも」という感覚を育んでいきます。
たとえズボンの前後を間違えたとしても、自分で着られたという事実こそが、その一歩なのです。
この視点は、外国につながる子どもたちを支援するうえでも欠かせません。
彼らの多くは日本語を第二言語として獲得する過程にあり、生活言語(BICS)と学習言語(CALP)のギャップに直面しています。(Cummins, 2001)。
家庭や遊び場では流暢に話しているように見えても、学習場面では言葉に詰まることがないでしょうか。
家庭や遊び場では流暢に話しているように見えても、実は「わからない」と言えない状況にいることも少なくないのです。
たとえば、
- 会話の流れを止めないように、わかったふりをしている
- 「聞く=わかっていないと思われる」と感じ、あえて黙っている
- 「自分は劣っている」と見られないために、質問を避ける
といった、「防衛」としての沈黙や適応行動が見られます。
それは、単なる理解不足ではなく、「見下されないように」「仲間はずれにならないように」生き抜く術として選ばれている表現なのです。
――そんな“沈黙”を、大人はつい「理解していない」「怠けている」と誤解してしまうことがあるのです。
また、発達心理学者エリク・エリクソン(E. Erikson)の発達段階理論によれば、幼児期の課題は「自律性 vs 恥・疑惑」とされています。
自分でやってみたいという欲求が尊重されるとき、子どもは自分への信頼感を育てていきます。
しかし逆に、「間違っているよ」「恥ずかしいよ」と無意識に否定されたとき、その芽は閉じてしまうのです。
外国につながる子どもたちは、言葉だけでなく、文化的な「ふつう」や「正しさ」にも向き合っています。
ズボンが後ろ前というのは、ただの服装の問題だけではありません。
それは「自分がどう見られるか」という感覚、つまり他者視点の獲得と、自己評価の交差点でもあるのです。
私たち大人が子どもに伝えたいのは、「ちゃんと着ること」よりも、「あなたの存在そのものが大切だ」というメッセージではないでしょうか。
「ズボン反対だよ」と言いたくなるときでも、「今日は自分で着替えたんだね」と声をかけられる大人でいたい。
それは、“評価”ではなく、“信頼”に根ざしたまなざし。
子どもが「間違えた自分」ではなく、「挑戦した自分」を誇れるように――。
私たちは日々、そんなまなざしを贈り続けたい。
参考文献
- Bandura, A. (1997). Self-Efficacy: The Exercise of Control. W.H. Freeman.
- Cummins, J. (2001). Language, Power and Pedagogy: Bilingual Children in the Crossfire. Multilingual Matters.
- Erikson, E. H. (1950). Childhood and Society. Norton.
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