誰にも迷惑をかけたくなかった。
子どもを見守っていたかっただけなのに──
声をあげた人が守られる社会 ── 誰にも気づかれずに消えた、静かな人の存在
電車やバス、スーパーやモール――公共空間で子どもが泣いたり、親が注意を受けたりする場面は、切なさを伴う光景です。
確かに迷惑に感じたり、戸惑いを覚える人もいるでしょう。
「子ども連れだからといって許されるのか」「みんなルールを守っているのに」
こうした声があがる背景には、“秩序”や“公平さ”への不安が潜んでいます。
けれど、公平とは、みんな同じようにルールを守ることなのでしょうか。
「迷惑をかけてはいけない」
「困ったときはお互いさま」
この二つの、しばしば矛盾する価値観が並存する社会で、共通の困りごとがない限り、個別の困りごとは、「自己責任」として片づけられてしまうのでしょうか。
怒りが優先される社会──「声の大きさ」が正しさになっていないか。
なぜ、怒鳴る人が空気を支配し、立場の強い人が弱い人を制し、静かな人が退くしかないのか。
その場を静かに離れた人、我慢した人、譲った人は、誰にも気づかれずに消えていきます。
たしかに、「子どもがうるさい」のかもしれません。
でも実際には、子どもを静かにさせることができず、「親が困っていた」のかもしれません。
怒鳴った人は、居場所が侵害されたと感じたのかもしれません。
他の人のことを思いやったのかもしれませんし、多数派にいたのかもしれません。
しかし、怒鳴られた人は、困った挙句に、居場所を失うことになります。
「ああ、自分たちはここにいてはいけないのだ」と。
それは生きづらさであり、子育てのつらさであり、マイノリティの苦しさでもあります。
この構図が少子化と無関係だと言い切ることは、できないのではないでしょうか。
誰にとっての公平か ── 一律のルールが見落とす多様な背景
文化・言語・発達・心理状態――背景が異なる中での一律適用は、かえって“不公平”を生むことがあります。
すべての人が“同じ条件”でルールを理解し、守れるわけではありません。
ここでは「合理的配慮」「福祉モデル」「BPSモデル」の視点から、「公正とは何か」を見つめ直します。
1970年代後半〜1990年代、アメリカの障害者権利運動の中で法制化され始めた合理的配慮があります。トーマス・H・マッキー(Thomas H. McKean)など法学者や福祉政策研究者が提唱しました。日本においても、2013年「障害者差別解消法」にて明文化されました。この合理的配慮は、障害者が他者と平等に社会参加するため、「環境調整を行う義務」を社会に求めるものです。教育・労働・公共の場面で重視されています。合理的配慮は、「できない」人に合わせるのではなく、“できるように環境を整える”ことが社会の責任であるという考えです。
1983年に、マイケル・オリバー(Michael Oliver)は、福祉モデルを提唱しています。それ以前は、医学モデル(Medical Modelといって、障害は個人の「機能の欠如」にあると考えられていました。この福祉モデルでは、社会の側にあるバリアが障害をもたらしていると考えて、本人の課題として捉えるというよりも、社会構造を変えることを重視しています。
1977年にジョージ・エンゲル(George L. Engel)が発表した、BPSモデル(Biopsychosocial Model)があります。もともとは医学・精神医学の診断と治療モデルですが、人間の行動や健康問題は、生物的・心理的・社会的要因が相互に影響する複合的なシステムであるという全人的理解に基づくとして、生物的・心理的・社会的な要因が絡む背景の理解こそが、公平な支援の出発点であるという考えです。
対話が成り立たないときこそ、環境や前提を見直すことが大切なのかもしれません。
その行動の背景に ── 共感とは環境へのまなざし
幼児期は、遊びの中から社会的ルールへの芽生えが始まる時期です。
子どもにルールを完全に守らせることは、決して簡単ではありません。
共感とは、「正しさ」ではなく「揺らぎ」に気づくこと。
声を荒げる人の背後にも事情はある。
でも、やさしく我慢した人の選択もまた、語られるべき物語です。
成熟した共感とは、「誰が正しいか」を争うことではなく、 「自分も相手も、不完全な存在である」という前提に立つこと。
そして、「誰が大声を出したか」ではなく、「誰が何を抱えていたか」に耳を傾けることなのです。
注意した人も、怒鳴った人も、「なぜあの人だけ特別扱い?」「こっちだって大変なのに」と思っているかもしれません。
その声の奥には、「自分が軽んじられている」という痛みや、「崩れゆく秩序」への不安が隠れていることがあるでしょう。
一方で、子育て中の親に対しても、ルールを破ったように見える行動が、本当に“故意”だったのかどうか、判断を下す前に「なぜその行動に至ったのか」を見つめ直すまなざしが必要です。
守れなかった事情に理解の余地を持ち、丁寧に対話すること。 それは、心理的安全性を育む文化へとつながっていくのです。
怒らなかった人の声をすくい上げる ── 心理的安全性という土台
環境を見直すこと。
対話を試みること。
時を待つこと。
色々な方法があるでしょう。
でも、あなたはそのとき、静かに立ち去ることを選んだかもしれません。
譲ってきた人、声をあげなかった人、居場所を静かに手放してきた人。
その人たちのやさしさが、もしかするとこの社会の緊張を静かに支えてきたのではないでしょうか。
本当の心理的安全性とは、怒った人をなだめる空気ではなく、 怒らなかった人の声に光が届く空間にあります。
私たちはこれから、沈黙した人の言葉を、紡ぎ直していく必要があると感じています。
🌿 カウンセリングへの誘い
子育て中に、声をあげたくてもあげられなかった場面。 その気持ちを、胸に押し込め、しまい込んできたこと。 誰かを気遣い、あえて何も言わなかったこと。
――「なかったこと」にしてきた日々。
本当は辛かったのに、「こんなことくらいで」と自分に言い聞かせてきた。
でも、そんなあなたの沈黙の底には、きっと大切な物語が眠っているのではないでしょうか。
けれど、その物語は、誰かに聞いてもらわなければ、やはり「なかったこと」にされてしまいます。
「怒った人ばかりが守られて、自分は黙っていただけだった」
「本当は、私も助けてほしかった」
「これが“子育て”なの?こんなはずじゃなかった……」
そう思ったことがあるのなら―― その言葉を、どうかひとりで抱えないでください。
カウンセリングは、「本音を語ってもいい」と思える場所です。
あなたの過去を変えることはできません。
けれど、あなたの気持ちの輪郭を、一緒に確かめ、言葉にしていくことはできます。
沈黙していたあなたの物語に、 もう一度、あなた自身の言葉を取り戻していきませんか。
そのためのお手伝いが、ここにあります。
参考文献
- Engel, G. L. (1977). The need for a new medical model: A challenge for biomedicine. Science, 196(4286), 129–136.
- Oliver, M. (1983). Social Work with Disabled People. Macmillan.
- 内閣府(2013). 障害者差別解消法(正式名称:障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律). https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/law_h25-65.html(2025年4月15日確認)
- 村上靖彦(2021). 『ケアとは何か』中央公論新社
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