
「パパ、僕は〇〇人だよ」 幼い頃、海外にルーツを持つ我が子は、屈託のない笑顔でそう言っていました。
彼にとって、家庭内で触れる異国の文化や言葉は、ごく自然な自分の「物語」の一部だったのでしょう。
しかし、日本の公立小学校に通い始め、8歳になったある日、子どもの口から出る言葉が変わりました。
「僕は、日本人だから、・・・」 その言葉を聞いた時、日本人である父としての安堵感よりも先に、少しの寂しさと、「大切なルーツが消えてしまうのではないか」という戸惑いが胸をよぎりました。
これは、多くの親御さんが経験する、外国につながる子どもの変化でしょう。
しかし、心理学や発達の視点で見ると、これは彼らなりの賢明な「生存戦略」であり、非常にたくましい成長の証なのです。
「ギャングエイジ」と所属への欲求
8歳前後は、ピアジェの発達段階でいう「具体的操作期」にあたります。
論理的な思考が育ち、自分と他者を客観的に比較できるようになる時期です。
同時に「ギャングエイジ」に入り、親よりも学校の友達との結びつきが強まります。
「仲間と同じでありたい」という所属欲求が猛烈に高まるこの時期、
周囲と同じ「日本人」と名乗ることは、彼が安心して社会を生き抜くための高度な適応力の表れなのです。
アイデンティティは「物語」であり「権利」である
ここで、私たち親を支える理論があります。
心理学者ダン・マクアダムスの「ナラティブ・アイデンティティ」は、アイデンティティとは固定された事実ではなく、
自分で紡ぐ「物語」だと説きます。物語なら、環境が変われば書き換えられるのは当然です。
また「社会構成主義」の視点では、現実は関係性の中で作られます。今の彼にとって、
学校の友達との関係の中で最もリアルな現実が「日本人としての自分」なのです。
さらに、マリア・P・ルートの『混血の権利章典』にある言葉を思い出してください。
「私には、状況によって身分証明の仕方を変える権利がある」
「私には、自分のアイデンティティを自分で定義する権利がある」
子どもの言葉は、誰かに言わされたものではなく、彼自身が決めた、尊重されるべき「権利」の行使なのです。
アイデンティティは常に「生成」し続けるもので、進行形でありながらどの時点においても正しく、
踊りや音楽のように、動きの中にこそ本質があるのです。
「途中経過」でもなく、準備期間でもなく、
子どもの言葉が変わると、
私たち大人はつい「今はまだ迷っている途中だから」
「アイデンティティが固まるまでの準備期間だから」と、
今の状態を「未来のための踏み台」のように捉えてしまいがちです。
しかし、それは少し違います。
かつて彼が「〇〇人だ」と言った時、それは彼にとって紛れもない真実であり、
その時点での発達の「ゴール(正解)」でした。
そして今、彼が「日本人だ」と言う。
これもまた、今の環境に完璧に適応した、彼なりの完全な「ゴール(正解)」なのです。
右に傾いたら、右が正解。その後、左に傾いたら、今度は左が正解。
それは不安定に揺れているのではありません。
そのすべて瞬間は、万華鏡の煌めき。だからこそ、
その時々の世界と真剣に向き合った結果、導き出された「最適解」の連続なのです。
まるで万華鏡が回るたびに、一つとして同じではないけれど、
どの瞬間も美しい「完成された模様」を見せるのと同じです。
だからこそ、私たち親に必要なのは「早く答えを出しなさい」と急かすことでも、
「いつか定まるはず」と今の姿を仮のものとして扱うことでもありません。
今、目の前にあるその子の姿を、「将来のための準備」ではなく、
「今、ここの完成形」として、リスペクトを持って受け止めること。
「今の君はそうなんだね。それが今の君の正解なんだね」
そんな瞬間瞬間の、彼らの姿や言葉を、完成形として、ただただ認め続けること。
その親のまなざしこそが、どんな場所でも堂々と生きていける子どものたくましさを育んでいくのだと思います。

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