
「こうしたらいいよ」
「こうしなきゃだめだよ」
私たちは、つい善意からそう言ってしまいます。
でも本当に、それは子どもの力になるのでしょうか。
外国につながる子どもとバドミントンをしたとき、私はあえて教えないことを選びました。フォームも、打ち方も、勝ち方も言わない。提案しない、指導しない、指摘しない。ただ一緒にラケットを持ち、シャトルを追いかける。
その子は、その子なりに考えていました。どう打てばいいか。どうすればうまくいくか。どうしたら楽しいか。どうすれば勝てるか。
私が何かを言わなくても、子どもはすでに「自分なりにうまくやろう」としていたのです。考えてみれば当然かもしれません。これが正しいやり方だからと、「こうしたらいい」と言われて、心から受け入れられるでしょうか。言われたからやる、という形になれば、それは“自分のもの”にはなりにくいでしょう。
うまくできたり、失敗しながら、文字通り試行錯誤しながら、自分なりにできた時の嬉しさを感じて、うまくいく感覚を自分のペースで納得しながらつかんでいくのが好きな子もいます。
外国につながる子どもたちは、日常の中で「正解」を求められる場面がとても多い存在です。言葉、振る舞い、学校のルール、友だちとの距離感。そのたびに「こうするのが正しい」「普通はこうだよ」と示され続けています。暗黙知だったり、家庭のルールと違ったり、納得できないまま笑われたり、注意されたり、従わなければならない状況もあります。
だからこそ、支援の場では、教えない時間、評価しない時間、正しくできることよりも、うまくなることよりも、納得する感じや充実する感じがとても大切なのです。
その日は、なるべく子どもを“勝たせる”ようにもしました。技術的な勝ち負けというより、「できた」「うまくいった」という感覚を多く味わえるように。終わった後、子どもは、「楽しかったね」と、私がどうだった?と聞く前に、自分から言いました。
それで十分なのだと思います。教えなくても、人は育とうとする。指導しなくても、子どもは感じ、考え、何かを学んでいるのです。心理支援とは、何かを与えることではなく、その力が育つ邪魔をしないことなのかもしれません。

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