
「これ、知ってる?」
「知ってる、知ってる、〇〇だよね」
「うん、そうだよね・・・。」
そう言ってうなずいた、外国につながる子どもは、内容を理解していたわけではなかった。
わかっていないのに、わかったふりをする――
それは怠けでも反抗でもなく、その子が必死に“仲間であり続けよう”としている行動なのかもしれない。
心理的な防衛としての“わかったふり”
外国につながる子どもたちの中には、日本語を第二言語として獲得する途上にある子が少なくありません。
たとえ家庭や遊び場で流暢に話しているように見えても、教室での授業理解や友達との会話に苦労することがあります。
さらに彼らは、以下のような“文化的防衛”をとることがあります。
- 会話の流れを止めないように、わかったふりをする
- 「聞く=わかっていない」と思われたくなくて、あえて黙る
- 「バカだと思われたくない」という不安から、質問を避ける
つまり彼らの“沈黙”や“笑顔”は、仲間外れにならないためのサバイバルスキルなのです。
社会学者アーヴィング・ゴフマン(Goffman, 1959)は、私たちは日常的に「自分という存在を演出している」と述べています。
子どもたちも例外ではありません。
彼らもまた、“ちゃんとわかっている自分”を演じることで、集団の中で自分の位置を保とうとしているのです。
恥を避ける発達の課題
心理学者エリク・エリクソン(Erikson, 1950)は、幼児期から児童期の発達課題として、「自律性 vs 恥・疑惑」「勤勉性 vs 劣等感」を挙げています。
この時期の子どもは、他者のまなざしを強く意識するようになり、「評価されること」と「仲間でいること」に敏感になります。
とくに外国につながる子どもたちは、
- 「意味がわからない」と言ったとたん、自分の評価が下がるかもしれない
- 「間違えたら、恥ずかしい」と感じてしまう
- 「この子、まだ日本語ができていない」と、ラベルを貼られるのが怖い
そんな感覚を、日々小さな決断として引き受けているのです。
その結果、「質問しない子」「発言しない子」として見られがちです。
さらには、沈黙期なのではないか、言語の切り替えで苦労しているのではないか、そう見立てられることもあるでしょう。
そのような沈黙は「意欲のなさ」ではなく、「居場所を守るための選択」でもあるのです。
支援者にできること
支援者として大切なのは、「正しい理解ができているか」だけを評価軸にしないことにあります。
「わかっていないのに、どうして聞かないの?」ではなく、「わからないことを、安心して聞ける雰囲気だったかな?」と、環境に問いを向ける視点が必要です。
わからないから沈黙していることを通して、何を守ろうとしているのか、何を得ようとしているのか、追求するのではなく、あたたかく見守っていく姿勢と言ったらいいでしょうか。
また、エレノア・オックス(Ochs, 1993)は、言語社会化の研究において、言語は単なる情報伝達手段ではなく、社会的アイデンティティを構築する行為であると指摘しています。
つまり、子どもにとって「わからないと言うこと」は、自分の立場や仲間関係を危うくする行為でもあるのだ。
「わからない」と言える勇気のために
「わかったふり」は、子どもにとっての“武器”であり“盾”と言えるのかもしれません。
その背景にある恐れと努力に気づいたとき、私たちはようやく何も意味していない停滞なのではなく、ましてや正すべき行動でもなく、「背後にある理解されるべき気持ち」として、それを受けとめることができるのだと思います。
「わからないと言っていい」
「間違えてもいい」
そんな安心感が、子どもにとっては最初の“学ぶ力”を育む土台になるのです。
そのまなざしを持つ私たちでありたいと思っています。
参考文献
- Bandura, A. (1997). Self-Efficacy: The Exercise of Control. W.H. Freeman.
- Cummins, J. (2001). Language, Power and Pedagogy: Bilingual Children in the Crossfire. Multilingual Matters.
- Erikson, E. H. (1950). Childhood and Society. Norton.
- Goffman, E. (1959). The Presentation of Self in Everyday Life.
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