「しっかり」から「しなやか」な学びへ──“繰り返し”が苦手な子どもと自己効力感の育ち


外国につながる子どもの「書字の壁」

「とめ」「はね」「はらい」──日本語の書字には、繊細なルールがたくさんあります。

筆順、形、バランス、さらには、とめ、はね、はらい。

これらは日本語教育において大切にされてきた要素ですが、外国につながる子どもたちにとっては、見えない壁になることがあります。

英語やアルファベットの文化では、文字の形や筆順に厳密な正解があるわけではなく、「伝わればよい」という実用性が優先されることが多いのです。

そのため、日本語の「正しく書く」という基準は、ときに子どもたちに「できていない」「間違っている」という否定的な自己認識を生じさせます。

加えて、日本語の漢字習得には、視覚(字形のバランスをとらえる)、運動(正しい書き順で手を動かす)、音声(音と文字を結びつける)、意味(言葉の使い分けを理解する)といった、複数の認知・身体スキルが関係します。

これらはすべてが連動して初めて「正しく書ける」につながるため、母語話者であっても困難を感じることが多く、外国につながる子どもたちにとっては、さらに高い負荷となります。

言語学者ジム・カミンズ(1984)も、母語でない言語の読み書きには、日常会話とは異なる学習言語能力(CALP)が必要であり、その発達には5~7年かかるとしています。

つまり、「書けない」のではなく、いまはまだ、その言語や文化の感覚が体になじんでいないだけなのです。

不登校や家庭学習の子どもが感じる「反復」のしんどさ

「できるまでくり返しなさい」
「間違えたら最初からやり直しなさい」

こうした指導を繰り返し受けてきた子どもたちの中には、反復学習そのものに“しんどさ”を感じるようになることがあります。

とくに、不登校や家庭学習を選択している子どもにとって、「反復」は単なる練習ではなく、「自分が試されるもの」「できないことを突きつけられるもの」として受け取られることがあります。

たとえば、ノートを埋める、漢字を10回ずつ書く、同じドリルを何度も繰り返す──。

こうした学習が「わからないまま」「不安なまま」続いていくと、次第に意味を感じられなくなり、「やらないと落ち着かない」といった、不安を打ち消すための強迫的な反復に変わってしまうこともあります。

また、学校という「場の力」、すなわち「みんなと一緒に学ぶ」という空気感は、家庭学習では希薄になりがちです。

集団の中で自然と生まれる「まわりがやっているから自分もやろう」といった同調的な動機づけが得られにくく、自分のペースで学べる反面、学びへの意欲が持続しにくくなることがあります。

一方で、「自分だけができた」という達成感や、「みんなと一緒にできた」という一体感を得る機会も限られています。

学びに対するフィードバックも乏しいため、努力が実を結んでいるという感覚を得にくく、作業は次第に孤独なものとなりがちです。

このような状況では、反復学習が「意味ある積み重ね」ではなく、「報われないくり返し」として認識されてしまいがちです。

結果として、「書くこと」そのものが苦しいものに変わり、自発的な学びの意欲や自己肯定感が損なわれていくのです。

やわらかく、しなやかな「反復」を育てるために

では、私たちは、子どもにどのように寄り添えばよいのでしょうか。

まず大切なのは、「やわらかい反復」を意識することです。

結果を急がず、子どもの気持ちの準備が整うまで待ち、「やりたくなったら、またやってみよう」と声をかける――。

子どもが「やらされる」のではなく、「やってみたい」と思える余白を残しておくことです。


たとえ最短経路でなくても、効率が悪そうに見えても、子どもが自分なりに考えて取り組もうとする姿を、まずは尊重し、見守ることから始まります。

次に、「しなやかな反復」を育てていくこと。

同じやり方に固執せず、その子に合った方法を一緒に見つける姿勢です。

たとえば、漢字の練習が苦手な子には、絵にしたり、ストーリーにのせたりして、言葉の「意味」から入る工夫をします。

くり返しを「訓練」ではなく「発見」に変える視点です。

そして何より、「できた・できない」ではなく、「やってみようと思ったこと」そのものに価値を見出すまなざしが求められます。

「できるまでやる」のではなく、「やりたくなるまで待つ」
「ちゃんと書く」より、「楽しく書く」
「正しく書ける」ことよりも、「書くことを好きになる」

そうした関わり方が、くり返しの中に子どもを励まし、支えていく力を育てていくのです。

たとえば、「“水”って書いたんだね。最後の“はね”が元気でいいね」と、書こうとした気持ちに寄り添うだけで、子どもの心はふっとほぐれます。

「間違いを直す」よりも、「書いたことを喜ぶ」姿勢が、子どもを勇気づけるのです。

書くという行為には、自分の内面を表現する力と、同時にそれを見せる勇気が含まれています。

だからこそ、子どもは「うまく書けなかったらどうしよう」「間違えたら怒られるかも」と不安を感じることがあります。

その不安を乗り越えるには、正しさよりも、見守られているという安心感が必要なのです。

いま、私たちは「書くこと」の意味をあらためて問い直す時代に立っています。

タイピングや音声入力、AIによる文章生成が広がる中で、「自分の手で書くこと」は、どんな意味を持つのでしょうか。

それはきっと、「誰かに伝えたい」「自分を表したい」という願いではないでしょうか。

そして、「うまく書けなくても、あなたが書いたことがうれしい」と感じるような受け手ではないでしょうか。

上手に書く・正しく書くことよりも、まずは、ひとつひとつの気持ちや想いを受けとめているか、振り返りたいものです。

参考文献

  • Deci, E. L., & Ryan, R. M. (1985). Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior. Plenum.
  • Bandura, A. (1997). Self-efficacy: The Exercise of Control. Freeman.
  • Cummins, J. (1984). Bilingualism and Special Education: Issues in Assessment and Pedagogy. Clevedon: Multilingual Matters.

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