
「いやだった」
「いやなことを言われた」
外国につながる子どもが、そうつぶやくとき、私たちはつい、「何があったの?」「なんて言われたの?」と理由を聞きたくなります。
だが、その子は答えられないのです。
しばらく沈黙し、やがて「わかんない」と小さく言って目をそらします。
そんな場面に立ち会ったことはありませんか。
「いやなことを言われた」とは言うけれど、具体的な言葉ではなく、相手の口調や表情、間の取り方など、非言語的な情報から嫌悪感を受け取ったのかもしれません。
あるいは、口げんかや誰かが泣いてしまった場面に出くわし、自分も何かを感じたのかもしれません。
この「わかんない」は、ただの拒否ではありません。
どう言葉にしたらいいかわからないけれど、たしかに“何かがあった”という心のサインなのです。
とくに、幼児期・児童期という発達段階にある子どもたち、そして母語とは異なる環境で生活している「外国につながる子どもたち」にとっては、そのサインを表現する語彙や安心感が十分に育っていないことがあります。
それでも、何かのきっかけで思い出され、話してくれたその一言は、私たちに託された内なる経験の断片なのです。
「意味づけの壁」──ことば以前の理解のずれ
心理学者ジェローム・S・ブルーナー(Bruner)は、学習や表現には「文化的意味づけの共有」が不可欠であると説いています。
つまり、個人が体験したことの“意味”は、社会の中で共有される文脈の中で理解されるのです。
しかし、外国につながる子どもたちは、文化や言語が異なる環境のなかで、「何が嫌だったのか」「それがなぜ嫌だったのか」を整理し、説明するための“意味の枠組み”を持ちにくいのです。
たとえば、「〇〇人でしょ?」というひと言。
日本の子にとっては何気ない、あるいは好意的なつもりの声かけだったかもしれません。
だが、その子にとっては「仲間ではない」「ここに属していない」と感じさせる“切り離し”の経験となる場合があります。
発達心理学者ジャン・ピアジェ(Piaget)によれば、幼児期の子ども(前操作期~具体的操作期初期)は、体験を全体として“感じたまま”記憶する傾向が強く、時間や因果関係を言語的に再構成する力はまだ十分に育っていないとされます。
そのときの印象は、多くの場合、「感覚」として子どもの内側に残ります。
心の中には、うまく説明できないままのモヤモヤとした不快感や怖さが残るのです。
それは、単なる「言葉の不足」「表現力の欠如」ではありません。
言葉は、音として、たしかに聞こえていても、状況や文脈、意味の共有がなされていないために、適切に反応することができなかったのです。
さらに、その体験を「正しく」「日本語で」「説明する」ことは、母語と異なる文化・言語環境で育つ幼児期・児童期の子どもにとって、発達的にも心理的にも大きなハードルとされます。
ピアジェが示すように、この時期の子どもは体験を言語的に再構成する力がまだ未成熟であり、感情や出来事を「語る」ことよりも、「感じる」ことに重きを置いた反応が目立つわけです。
「何があったの?」とすぐに聞かない
保護者や支援者は、つい、事実関係を把握しようとして「何があったの?」「誰に言われたの?」と問いかけてしまいがちです。
しかし、そこで必要なのは、「なぜ?」ではなく「どんな気持ちだった?」というまなざしではないでしょうか。
心理学者カール・ロジャーズ(Carl Rogers)が示した「共感的理解」「無条件の肯定的関心」「自己一致」は、こうした子どもへの関わりにおいてとても大切な姿勢です。
とくに、相手の言葉にならない感情や意味を、その人の立場で感じ取り、理解しようとする「共感的理解」が大切です。
「“嫌だった”って教えてくれてありがとう」
「うまく言えなくても、その気持ちは、ちゃんと伝わってるよ」
そうした応答を通して、子どもは「自分の気持ちを認めてもらえた」と感じ、「話してもいい人」「ここにいていい場所」に出会えるのです。
感情は、言葉だけで表現されるとは限らない
子どもにとって、感情を言葉で語ることは必ずしも主たる表現手段ではありません。
むしろ、絵・遊び・身体表現・物語といった“非言語的手段”のほうが、感じたことを的確に表すことができる場面が多くあります。
たとえば、ごっこ遊びやお絵描きの中で、子どもは無意識にそのときの「感じたこと」を表現しています。
こうした遊びが、子どもの心を理解するための大切な窓口になる場合があります。
言葉にするよりも先に、手や体が動き、色や形で心の中を表しているのです。
また、絵本や物語の登場人物との出会いが、「この子とおなじ気持ちだったかもしれない」「あのときの自分と似てる」と、内面的な気づきを生むこともあります。
これは、自己と他者との感情的な橋渡しとなり、言語化されにくい経験に意味を与えてくれます。
支援者にできること
- ことばよりも、感覚や気配を受け止めること
- 状況や原因の分析よりも、「気持ち」を尊重すること
- 非言語的な表現の機会を日常の中に設けること
- 家庭・学校との連携を通じて、“話さなくてもいられる安心の場”をつくること
参考文献
- Bruner, J. S. (1996). The Culture of Education. Harvard University Press.
- Piaget, J. (1951). The Psychology of Intelligence. Routledge & Kegan Paul.
- Rogers, C. R. (1961). On Becoming a Person: A Therapist’s View of Psychotherapy. Houghton Mifflin.
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